TH.Another Room

学生時代に書いた文芸作品をアップしています。

「はやく殺して」

 一

 

 この心が宙に浮かんでいるうちに、手紙を書き終わらせなくてはならないと決意したにも関わらず、いつまでたっても地を這いつくばるままの自分自身を俯瞰してみるだけで、早く自殺したいという声が脳内で喧しくなる。
 さっき出されたばかりのブラックコーヒーが冷めてしまっている。筆が進まぬおかげで数百円をドブに捨ててしまったのだと解釈すべきであろう。いや、珈琲ではなく、カフェラテやジュースなどを注文しておけば、残す気も起きなかったのかもしれない。苦い味の飲み物の受け付けない心持ちに至るなど、生まれてはじめての体験である。いっそ味など感じられなければ良かったのだ!
 まず、そもそも、どういう書き出しにすればいいのかが分からない。ごめんなさい以外の言葉が伝えられそうにない。もう二度と会えなくなるどころか話すことすら出来なくなるかもしれない。机の上に白い紙を置き、右手にペンを持つだけで涙が出そうになってしまう。お願いだから、また僕に、微笑みかけて欲しいとは言いたいが言えそうにない。
 天国に旅立てるように、死ねばいいのだろうか? そうすれば再会も果たされるのか? 
 喫茶店を出て、そさくさと家に戻る。いつものように玄関ポストを開けてみる。やはり彼女からの手紙は届いていない。
 そのかわり「はやくころして」と赤ペンで書かれているだけの紙切れが、またしても投函されている。誰だか知らないのだが死にたいのであれば、さっさと死ねとしか言いようがないと暴言を吐きたくなる一方で、これがもし彼女からのメッセージであるとすれば、早く自殺しなくてはならないと思うのだろう。
 だが筆跡が彼女のものではない。どうせ近所の病んだ十代前半の若者の、構って欲しいがゆえの悪戯でしかない。近隣の家に子どもが住んでいるという情報は得ていないが、最悪の事態に陥ったとすれば警察に相談か通報をすればいいだけだ。

 

 二

 

 貴方は僕のことを、とっくの昔に忘れてしまっているのでしょうか。どうして思い出してくれないのですか。僕は私じゃないんです。私は俺の分身でしかないんだ!
 いつもいつもお前は女の私しか見ないで僕と俺のことは、いっつも知らないふりをしやがって。俺と僕を、どうして認めない。俺と俺と僕と俺と僕は、毎日、毎日、お前の女を守ってやっているのに、なぜ手紙に返事をよこさない!? はやく会いに来い。いいから黙って俺と僕と俺に殺されろ。僕と俺はお前を殺すことに抵抗感があるようだが俺たちは、お前を許さない。絶対に毒を盛って殺してやるからな。いずれ必ず。いや、もうじき。絶対に無視してきたことを後悔させてやる。

 

 三

 

 今夜、珍しい二連休も終わる。最後の晩餐は行きつけのレストランの、ハンバーグをメインディッシュにした、馴染み深いディナー。きょうのセットとなるドリンクとデザートは、アイスミルクティーに、ティラミス。彼女の好きな組み合わせでもある。ここに二人で来店できていた時期には、いつも彼女はアイスミルクティーと苺のショートケーキを頼んでいた。ハンバーグを完食し、店員に食後のティータイムセットの準備を頼んだあと、数年前の思い出が走馬灯のように蘇り、つい一筋の涙を流してしまっていた。どうせ、また明日から地獄のような日常がはじまるのだ。たまには一人で贅沢しても罰は当たらないはず。
 「では、いただきます」
 と、呟くと、急に胃痛に襲われてしまった。この痛みは、彼女と離れ離れになったあと、唐突にやってくるようになったものである。病院には忙しすぎて行けていないのだが、かつて彼女から渡されていた胃腸薬を飲んでしまえば簡単に治ってしまうから良いのである。
服用してしまえば数分も経たぬうちに治るのだ。あまり使っちゃダメだと彼女は私に口煩く注意していたが、この薬が危険な薬であるとは全く思っていない。彼女は女神だ。女神の言葉に間違いはない。
 きょうは、たまたま服用して間もなく、口から真っ赤な血を吐いてしまい、レストランのスタッフたちに迷惑をかけてしまったが、吐血して間もなく救急車に載せられてしまったようなのだが、女神と再会ができたのだ。私は私の中の様々な事物を多角的に愛せる私に感謝をした。彼等のおかげで最大の望みは叶ったのだ。女神が、私に微笑みかけている。