TH.Another Room

学生時代に書いた文芸作品をアップしています。

瞳の中の道化師

 本作は自殺した友人から訳あって著作権を譲り受けた短編小説。

 誤字脱字を修正する以外の添削は行っていない。

 

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「道化師は何故笑う?」

  1

 私の両親は、幼子でも解るほど下衆な人間だった。社会的重圧に耐えきれずアルコールに溺れ私と母を毎晩痛めつけた父と、私を産んだことに対する後悔を実の息子にあたるネグレストの母。酒の汚臭が漂い家庭の温もりの欠片もない環境で育った私は僅か6歳にして運命を呪い、両親が滅んで欲しいと神に祈る日々を送っていた。
 そんなことを年端もいかぬ餓鬼が祈るんじゃない? あの両親から受けてきた言葉は、それ位は仕方ないと思っている。
 以下の文はあくまで一例であって他にも私の心を歪ませる台詞は山ほどある。大体両親の人間性が分かって貰えればそれで良い。
「お前なんか、産まなければよかった」
「黙れ餓鬼、死にたいか?俺はこの家の主で、貴様は奴隷に過ぎない」
 両親の非教育の結果、私は笑うことが出来ない子供に育ってしまった……。
 きっと僕の世界が何も変わらなければ、何もかもがおかしいまんまだ……
 僕は他所の子供みたいには成れなくて一生笑顔を知ることができない……
 僕は何になれば他所の子供のような無邪気な笑顔で世界を歩けるのだろう……
 嘆きの詩を頭で思い浮かべて眠りについたそんな夜、私の世界を変えるあの存在と出会ったのだ。

  2
 
 目を覚ますと、私の眼前に「道化師」が居た。道化師は毛布の上から、私に微笑みを見せ「バアッ」と驚かしてきた。私は何が何だか分からないままつられてクスリと笑い、道化師はとても気持ちよさそうに笑っていた。
 その後数秒の沈黙の後、道化師は、「ハテ?」と首を傾げる。「コワガラナイ?コワガラナイノハハジメテダ」正直自分でも、深夜に突如として現れた道化師に恐れない自分が少し不思議に感じる。とうとう僕はおかしくなったのだろうかと思っていたら道化師が、「オカシクナイヨ!」とおどけた口調で手を振ってきた。じゃあ、何?と尋ねようとしたら、「ワタシモヨクワカラナイ」と答えた。  
 これでは混乱するしかない。これは何なのだろうと考えていたら、「カンガエナイホウガイイカト……」と自信がなさそうな声で答えてきた。……分かったのは道化師が私の心を読めることと、危害を加える気はなさそうだということ。只々訳が分からず思考を停止していた……。
 そして何の前触れもなく道化師が私の瞳に吸い込まれていった。事は数秒の内に終わり、道化師は視界から消え、私の視界は闇に包まれてゆく……。
 翌朝、私は起きて……それが夢だと認識する。何かが変わるような気がしたが、何も変わらない。所詮夢なんてそんなものだ……。「ユメジャナイノダ」
 ……夢の道化師? 声が聞こえる……でも…姿は……幻聴だろう……。

「イルヨ!」

 !?!?!?

 夢の存在のはずの道化師が私の視界に映っていた。

  3

 それ以来道化師は、私の視界に入ってきては何かと世話を焼くようになった。学校でのテストや、授業、クラスメイトとの交わりなど日常生活にも口を挟んできて、「ココハコウシタホウガイイヨ!」とその場の状況に応じての正解を教えてくるのだ。最初の方は鬱陶しいと思いつつも、道化師に従っていれば最終的に正しいものとなるので、そのうち悪いものではないと思うようになってくる。ただ、わけは分からない。しかし、決して人生ベリーイージーになったわけでもない。道化師は私生活での勉強や肉体強化、同級生との交友等自らの研磨を積極的にやらせるのだ。もしサボろうものなら道化師の精神攻撃を食らう羽目になる(黒板を引っ掻く、ゴキブリの死骸を投げる等)。
 また道化師は、私の人格に対しても矯正を進めてくるのだ。主なカリキュラムとしてはバラエティ番組や、お笑い番組、コントや漫才、一発ギャグ、受け狙いのトーク等を見せて学ばせた。私を道化師に仕立て上げようとしていたらしい。さすがにプロ並みにはなれなかったけれど、学生生活ではこれらが非常に役立つものとなる。
 11歳のある日私は隣の席の女子に最近の私がよく笑うようになって嬉しいという旨の発言を頂いた。これはきっと道化師が私に笑いを教えたおかげなのだろう。
 つまり私はあの道化師によって笑顔を手に入れたということになる。とても嬉しかった。
 そして同時に道化師の存在に心からの感謝をこめて、ありがとうと伝えてみた。道化師はただ、笑みを浮かべるだけだった。

  4
 
 学校生活では順風満帆だったが、家では昔から何も変わっていなかった。両親を忌み嫌い、学校で見せる顔とは真逆の顔をするだけで、両親とは言葉を交わそうとしなかった。両親の方も私に対する態度は何も変わらないので妥当だろう。
 だが16歳の誕生日、ふと思った。両親は本当は自分が大切だけど愛し方が分からないから、いつまでも私たちはおかしいままなのではないか、私の方から笑顔を見せていけば両親もきっと変わってくれる筈……。本来私は何か重大な物事を決めるときは道化師とコンタクトを取ってから決断するか、道化師の方から勝手に現れて「ヤメタホウガ……」と勧めてくるのでそれに従うことにしている。  
 しかしこの問題に関しては道化師を介入させたくなかったため自らの判断で決定した。そして両親に笑顔を見せ、愛嬌を振りまくようになった。
 ……しかし私の努力も徒労に終わる結果になった。両親は以前より私を疎ましく扱うようになり、避けられるようになってしまったのだ。つい寂しくなって涙する日々が続いた。
 ある日私は両親とのこんな会話を偶然耳にした。その内容は私がいずれ自分たちを殺すのではないか、だからあいつを殺さないかという父と、私を自分たちの金蔓として利用してから殺すべきだという母が、私をどう扱うべきかの作戦を練っていた最中だった。
 私の中で何かが切れて、道化師は囁く。

「コロセ」と。

 私は用意周到に立てた計画を実行し、家に火を放ち両親を殺害した。計画に抜かりはなく私は疑われることもなかった。私は鏡を見てとびきりの笑顔を作り、道化師はいつもより不気味な笑顔を見せた。
 
   5

 それ以来、私の人生は特筆すべきことのないことばかり続き、順調に進学し、就職、結婚までこぎつけた。あの道化師もまだ視界に存在する。順調すぎて退屈な人生ではあるが決して悪いものではなかった。愛すべき妻、充実したキャンバスライフにやりがいのある職場…これらは全て道化師のお蔭で手に入れた私の宝物なのだ。……だがその間、ある違和感も感じていた。
 それから十年の歳月が経ち、私は出世コースを進み、妻と私の間に子供が出来た。妻から、名前はあなたが決めて――と伝えられて熟考の時を与えられた。道化師も何個かよい名前を推薦したが私の息子に、どうしてもつけたい名前があったため、私は珍しく道化師の意見を却下した。道化師は残念そうに笑うだけ。私は娘に「笑美」と名付けた。笑顔の綺麗な子に育ってほしい願いを込めてつけた名前だ。妻はとても賛成してくれたのだが、道化師は何故かつまらなそうに笑っていた。
 さらに歳月は流れ、笑美が十二歳を迎える一ヶ月前のある時。私は仕事を終えて休憩室でコーヒーを飲みながら以前感じたことのある「違和感」について考察していた。その正体は少し考えればわかるものだった。
 ……私は本当に私なのだろうか、ということだ。
 ……考えてみれば、私の人生はあの道化師によって導かれたというより仕組まれてできたものだと考えた方がしっくりくる。今も……その道化師は私の瞳に映っている……何者……お前は何者なんだ……問いかけてみると、私を惑わす答えが返ってきた。
「ジャア、オマエハナニモノダ」
 道化師はいつものように笑いながらこちらに目を向けてくる。私は何も反応できずただ固まるばかり。私は私を失っている……大切なもの、己が欲望の為に私の心を隠している……。思えば、この笑顔の裏にどれだけの嘆きを捨てて生きてきたのか。そして何より、道化師は何故いつも笑えるのだ? 
 私は……一人の時は頭を伏せ何も考えず只々視界が無に染まることを待つばかりの虚無的存在。お前は私にとって何者なのだ? お前は私の瞳の中に居る理由が分からないのか?……私に助言こそするが、決して愛があるわけでもないのは分かる。瞳の中の道化師は、いつも私を見透かしている怪物。では問おう道化師よ。この私の笑顔はいったいお前にどう映る? 天使のようか、悪魔のようか、化け物のようか、それともこの世のものではないというつもりか……。
 だが道化師はただ笑うだけだった。
 そして「ワカラナイヨ」と答える。
 そして「バカミタイ」と答える。
 そして「ワタシモアナタモ・・・ドウケ」
 ……考えても無駄だと悟った。無理に思考をリセットする。哲学とは若輩の頃に卒業するものだ。私は、今、大人であるが故……目を向けるべきは現実……愛する家族を守るため……私はここにいる。愛娘・笑美は、今も昔と変わらぬ笑顔で世界を歩いている……その笑顔も、いつ誰の手によって崩壊するか分からないのだ……故に私が考えるべきは娘の幸せ……笑美、愛している。私はただお前の為に……そのためなら……。
 すると休憩室のドアが乱暴に開き、私の名前を上司が叫び、妻からの電話が入ったと聞く。部署に戻り、受話器に耳を傾ける。
「どうしたんだ?」

 笑美が、自殺したとの知らせを受けた。
 
  6

 笑美が死んだあと私は病院のベッドの上で余生を送ることになった。
 私の視界が壊れ、あの道化師が……道化師が……赤と黒と白が、溶けて、何もかもが……になり、何も見えない。そして道化師は消えていた。何者かもわからずまま。
 それでも時は流れ、何時の頃かはわからぬが、妻から笑美の遺書を見つけたと聞き、妻から遺書を受け取る。遺書の内容は極めてシンプルにまとめてあった。

「本当の笑顔ができない自分に嫌気がさし命を絶つことにしました」

 この遺書を見た私は、狂い、私の手首に刃物をつけて狂い狂い狂い赤を見た。狂い狂い赤はやがて深淵の黒へと変わり狂い狂い笑顔の私が私を見つめている。そして私の顔は、あの道化師の顔へとなっていくのだった。