TH.Another Room

学生時代に書いた文芸作品をアップしています。

2020-09-01から1ヶ月間の記事一覧

「生誕」

九月二四日の夜、何気なく財布の中から紙幣を取り出し、それを鋏で切り裂いたあと、晩御飯を食べてみた。今日のメニューは納豆ご飯とサラダ。いつものように美味しかった。 食事を終えて、お皿を洗う。じゃぶじゃぶと音をたてながらスポンジの泡立ちを堪能す…

「旅のはじまり」

時が止まっている。白い霧に視界が封印されている。悪魔の顔だけは見えている。それは美しい人間であるのかもしれないと思った。一瞬、ついに自分自身が、認知症を患ってしまったのだろうかとも疑った。心は今、生と死の境目を彷徨っているようである。激し…

「とある手記の忘却についての手記」

これは、会社を辞めてからの自分が毎朝、思うようになったことのメモ書きである。 時には昔の話をしなくては今が色褪せる。と、思うのだが、自分には過去の記憶がない。そもそも昔語りをするための友や女もいない。 しかし、いま、眼前にある鏡に映る者は、…

「灯火」

金閣寺が燃えているかのような心が、窓の外で彷徨っているのを目撃した。その金色のローブを纏った死神が、俺を殺そうとしているのか、いま、絞縄が首に食い込んでいる。部屋の片隅に放置された段ボール箱の上には、まだ腐ってはいない蜜柑が乗せられている…

「悪魔が来たりて」

「あくまがきたりて、かみをきる」 幼い頃に祖母から教えられた、おまじないである。これを十三秒以内に言い切ると、地の底から「騎士」が詠唱者を守りに来る、らしい。詠唱を、けっして他者に聞かせない、というルールさえ守れれば、最強にして不死なる者を…

「味噌汁の温もり」

瞼を閉じ、母なる温もりに口づけをする。故郷の景色が色鮮やかに移りゆく。田園風景、寂れた町並み、清らかな川に支えられる鉄道橋。両の手を静かに下ろし、目を開ける。机の上には、たくさんの和布と豆腐と一寸法師がリラックスしている大きなお椀がある。…