「初体験」
真っ暗な部屋の中で、じっと手を見つめている僕は、今、何者かに睨みつけられている。足元に転がっている物体の怨念であろうか。いずれにせよ、辺りを見回しても、ここにいるのは自分ひとり。カーペットに染み込んだ赤黒い液体が、お月様のように光っている。
「おーい、ででこーい」
星新一の作品の一つのタイトルを呟いてみた。天井から石ころの類は降ってこなかった。
「つまらない。面白くない」
こう吐き捨てる僕。しかし、この口から発せられた台詞は、おそらく自意識によって生み出された言葉ではない。
なんとなく、やってみたかったからというだけで、面白そうな新しいゲームをプレイするような感覚で、振り下ろされるべきではなかった足元のナイフを凝視してみた。
これが僕の最初の射精の瞬間である。
冷蔵庫の中からブリュレを取り出し、口につけてみた。甘いものだとは知らなかった。甘い食べ物であるとインターネットには記載されていた覚えはあったが、実際に舌で確かめてみて、ようやく真実なのだと理解できた。
ブリュレのカラメルソース塗れの右手で、黒くて長い髪が団子状に纏まっているような物に触れてみると、なんだかんだで生きてて良かったと思えるため、僕は幸福なのだ。
右の手が嘆いている。
「嘘つきは泥棒のはじまり」
左の手が嘲笑っている。
「正直者だからこそコソ泥に堕ちるのでは?」
あまり長居すべきでないことなど分かりきっているが、まだまだ朝は訪れそうにない。そもそも、これに父や母などの存在が近くに実在しているのかどうかが怪しくて仕方がない。窓の外には闇しか広がっていないようだ。
他のデザートはないものかと冷蔵庫の中を物色してみた。人体模型と懐中時計しかない。
しかし調味料さえあれば、まあ妥協できるだろうと思い立ち、自宅に帰ろうとして玄関に向かってみた。なぜだか出入り口の扉が開かない。やむを得ず、家中の窓や勝手口などから脱出しようとしてみたが、どれも、全く開けられなかった。失禁した。爆笑した。僕自身の幼少の頃の姿が、まるで小便小僧そのもののように現れていた。今日は、この子と再会するためだけに、多くの時間が費やされた一日だったと言えるのかもしれない。
「久しぶりだね」
「ううん。ちっとも久しぶりじゃないよ」
「どうだい? 怖いかい?」
「全然。むしろ惨めにしか見えない」