TH.Another Room

学生時代に書いた文芸作品をアップしています。

殺戮のルナ・メイジ 12章

 ルナ・カノンは島内に潜伏していた何名かの魔術師を始末してすぐに、ドロシーと出会った日に唱えた「オルド・リム」を再発動し、殺人の後始末のできる掃除機を取り寄せ、すべての刺客の胴体と四肢、および、生々しい怨念の伝わってこない血痕を、ギュグラギュランと、跡形もなく消滅させた。これで仮に何者かが島を訪れたとしても、一目見ただけでは惨劇が起こっていたとは全く分からないようになったはずだ。もっともベルドラードが帝国の拠点の一つである以上は大した効果も期待できそうにないとは承知の上であるが、多少の時間稼ぎにはなるかもしれない。いや、何より、二人の愛の巣の景観の改善にもなるのだから、そう悪いことでもない。
 そして一つ一つの死骸から採取した血液から、敵国の戦力把握に繋がる情報となる「魔気」は一切生じてこなかったが、かわりに絶望するには早いとも確信させる「魔気」であれば得られた。かつての次元にも実在していたアイテム、たとえば先述の特殊清掃をするための用具をはじめとした多種多様な物、自分自身の記憶の中にある出来立ての料理そのもの等を調達できる可能性があるようなのだ。
 つまり孤島からの脱出を諦めるのは早計なのである。MPの無駄遣いを防ぐためにオルド・リムを乱発するわけにはいかないが、この世界に何があって何がないのかを隈なく調べ上げていけば、いずれ方法の有無も分かってくるのだから、まだ絶望的ではない。
 第一、逃亡が不可能だとはっきりしようとも、立ちふさがる悪党共を皆殺しにしていけば、どんな場所であっても、恋人と自分だけの安らげる楽園にできるという自信がある。
 死体掃除を終えた日の翌朝、ルナは宝石のように儚い少年の、清らかな頬に触れてみる。それだけで、世界を敵に回す覚悟が出来上がる。「おはよー、どろちー」
 暖かい毛布に包まっていた二人は口づけを交わし、雀の鳴き声と太陽と共に夜の終わりを見つめて、つい、ほのかに紅潮してしまう。
「……おはよう、るな……」
 まるで真っ赤な口紅が塗られているかのような、その両目を、まともに見られそうになかった。自分自身は、もう正真正銘の男の子であるのだと、はっきりと分かった途端に、またしても時間が止まってしまった。
 ドロシーは真昼の空から星を見つけてみようと、窓の外に目を向け、思い出す。赤紙の魔女が来る前から育てている、まだ幼い植物への水やりを、昨日、忘れてしまっていた、と。台所の棚の中に収納してある水色のジョウロに、ジュドの両手で水を少し入れてもらい、玄関に足を運ぶ。汚れた白い靴の傍の宙に、呪文で隠していた植木鉢を出現させ、子葉の無事を確かめ、ゆっくりと注ぐ。
恋人の官能的な所作を眺めながら、感心する。おそらく奇跡の種が撒かれているのであろう。不思議の花を咲かせるつもりであれば、必要となる物すべてを虚空に隠蔽しておくのは実に合理的で、まことに善い。
「それ……お父さんから、頼まれてるの?」
「うん。ここに強制連行される前に、開花すれば願い事が叶うかもしれないって言われて」
「ドロシー様、どのような姿形をしたものが生まれてくるかは把握しておりますか?」
「父が偶然手に入れた種から生まれる奇跡の花は、紫のパンジーにそっくりになるらしい、です。僕自身でも、過去に百科事典で、どうなるのかは調べてあるので、たぶん……合っていると思います……」
 するとルナは、オルド・リムを詠唱し、かつての世界で愛用していた、超魔導大事典を取り寄せ、古錆びた鉢の中の土を一摘みし、それを拡大鏡で、まじまじと見つめ出す。
(いくらパラレルワールドに転生したに過ぎないとはいえ、新鮮味がなさすぎるわ……)
 そう思うだけで、自然と溜息が出てくる。お父様、悪徳商人に騙されてるのかもよ、と、口にしたくなったが、特に有害な代物ではないとの判別もできるため、とりあえず何も分からなかったフリをしておいた。
【ルナ様、一つ、ご報告が……】ジュドは赤黒い液体の入ったスポイトを主の目の前にかざす。【まだ情報に具体性は乏しいのですが、島内に潜伏していた敵たちは、やはり、我々の力量を測るために敢えて暗殺を決行しなかったようです。魔気の解析を進めていくうちに、彼等の抹殺用の手段も見えてくるかと】
(OK……いつ頃から、潜んでたの?)
【私たちがベルドラード島に転生して二日目の昼頃に、密かに待機を始めていた模様】
(あたしたちが疲れきっているところを狙い撃ちする……つもりだったのかしらね)
 いまのところ、敵国に自分たちを始末するための武力がないなどとは思わない。ただ、もしかすれば戦力を集中させるだけの余裕がない政局なのか、あるいは島からの脱出さえ封じておければ何も問題ないと判断されたのであろうかとも考えられなくもない。そして何かしらの攻撃が既に始まっているのかもしれないし、そうでないのかもしれない。
 とりあえずオルド・リムで、最新の報道をチェックするために、この次元において有名な新聞をいくつか調達してみた。
ところが、どうあがいても解読不可能な言語で語られているものしか手に入らない。昔を思い出してきて、うんざりしていく。これは経験則からの憶測でしかないのだが、おそらくベルドラード島を囲むドーム状のバリアを破壊すれば自分やドロシーでも読めるようになる仕掛けがあるのだろう。翻訳の他にも、戦略をたてるにあたって有効となるデータを集める手段ならば、いくつか思いつきはするが、どうにもこうにもMPの節約を優先させた方が無難であるという結論に至ってしまう。
 このような現状では、己の誇る無敵無敗の力が、どこまで通用するか不明となってくる。だが、とにかく彼が生きている限りは安易な絶望に酔いしれている暇は無い。ここが愛を育むにあたって何ら障害のない無人島のままであれば幸福に至れるのだが。
 そんな王の横顔に秘められた、最大の願望を改めて察した使い魔は、【現在、ベルドラードに敵は一切、潜伏しておりませぬ】と言いつつ、ジュドはポケットの中の紙切れを一枚、渡す。白い紙に、何も書かれていないのを確かめた主は、女の子となる。さきほどまでの陰鬱で険しい表情は何処へやら。彼女のMSPの安定化を図るのは、彼にとっての平穏に繋がってくる。あれが死なれでもすればレナとの約束を破ることにもなる。なにより別の主を新たに探し出すのが実に億劫なのである。
台所で植木鉢を再び隠すための呪文を苦しげに詠唱したあと、何気なく水道の蛇口に手をつけてみた少年は、「あれ?」と首を傾げる。じゃずあっ。なぜだか、人の小便程度の細さの水道水が出るようになっているではないか。
「おや……あっさり成功しましたね」
 昨日の、手馴れぬ夜なべの甲斐があった。ルナは不敵に微笑む。「ふうむ……真実の愛からの贈り物みたいね……天恵とも言えるのかしら?」
「ほえっ? 僕の寝ている間に、なにかしたの?」
 実際のところは石ころ一つで片付くぐらいの障害でしかなかった。はめるべき箇所に、ぽしゅると挿入すればいいだけの話であった。
 この家の水道管は、以前の次元でも利用していたと思わしき、マリエス管という管種である。パイプの何箇所かに粒形の部品が付着されており、その中にはパスコードが仕掛けられているものが一つだけある特色を備えている。それさえ分かれば、蛇口に小さく彫られた6桁の数字と共に、マリエス管の近くで詠唱することで、簡単な修理を実行可能にさせる装置を現せるようになる。一般的にはパスコードを知るだけでも、かなりの手間暇がかかるのだが、その点は便利屋ジュドのおかげで、どうにかなった。しかし残念ながら彼自身は物に直接触れることの叶わぬ幽霊、もとい使い魔であるため、手を泥塗れにすることはできない。
 しかし、流し台の真下に密かに設置されてある、あのベニヤ版のような外見をした例の装置に、魔の石を嵌め込む作業を、最初からジュドにやらせる気などなかった。己の身体の一部を汚し、痛めて傷つけられる女の強さを知って貰えたとすれば、確実に恋人からの好感度が上がるという算段から人任せにするのを止めたのである。MPの減少には繋がらないとはいえMSPの不安定化の懸念はしていたし、ひどく激しい摩擦音が起こり得る労苦であるがゆえに、ドロシーを起こしてしまわないように気遣いながら手を動かしていた。魔の石を挿入するのに適したポイントを見つけ出すために約40分もかけるだなど、しかもそのためだけに指先で不気味な熱を感じ取らなければならないだなど、あまりにふざけていると言いたくなるような辛苦であった。何度も何度も規則正しく板全体をなぞっても出て来ぬ穴。何度も何度も何度も何度もなぞっても出て来る気配のない穴。接触させているだけで人差し指が虫歯のような熱傷を訴えかけてくるストレス。本当は、もう二度とやりたくない。だが、しかし、ルナ・カノンは、魔女の王なのである。たくましくて、獅子よりも遥かに気高い瞳の輝く、目の前の未来の夫のためだけに君臨した英雄なのである。
「んーと、要するに、あの工場の蒼魔玉の一部をくすねて、おうちで使えるようにしたあと、水道の修理に利用したのよ。危険性は一切ないわ。不安だったら、ジュドも専門書を片手に持って安全性を保証してくれるから、遠慮なく質問するのよ!」
「ありがとう。ルナのしたことなら、きっと大丈夫」
 そう言うと少年は、はにかんで、ハグをして、そして時計の針が暴走しだす。唇を持たない美青年は、窓辺にて、次の朝日の昇る時を直立不動で待ち望む遊びを始めていく。狂気と甘美は紙一重と結論づけるのは、前者への侮辱に繋がるのではないかと思索しつつも。

   翌朝、何も起こらなかった。そして昼にも夜にも何も起こらなかった。しかし愛に濡れた日常が得られたと確信した。小説としての物語性の希薄な時間の流れを、しっかりと噛み締めてみた少女の直観である。
 欲を満たし合っただけの約十六時間を随筆にするのも難しくはないはずだが、文字に書き起こそうとしただけで沼に溺れそうになるため、結局のところ無理なのである。だが、しばらくの間、朝になれば処女に戻り、夜になれば娼婦と化す生活を堪能できるだろうという期待感の前では、下らない無力感だ。触れられただけで、おかしくなるぐらいの弱さならば、逆に力の源になるのだから善い。
 そう語っていると丸わかりな彼女の横顔を冷めた目つきで見ながら、主のMPの残量を確かめるジュド。やはり、いつ死んでもおかしくないと判断させる数字が浮かんでいる。
【ルナ様、長生きをしたければ、今後からオルド・リムの濫用は控えるようにして下さい】
(………具体的には、一日何回までなら唱えられるかを教える気にはならないのよね?)
【前にも伝えた通り、あの呪文を貴方に、できるだけ用いないで欲しいのです、が……お二人の一日の食事を確保できる回数であれば、いいのではないでしょうか?】
 いずれ節約志向を築かせるための進言をしてくる日が来るとは思ってこそいたが、あの例の呪縛を神に解き放ってもらってからにして欲しいと内心で愚痴をこぼす。そして、この次元に生息する使い魔すべてに、ジュドと同じ体質を持っているか、つまり使役者のMPの数量を教えてしまった瞬間に消滅するのかどうかは分かりかねるが、もし自分自身で正確な数値を把握できるようになるのであれば、そのためだけに莫大な金と時間をかける価値がありそうだと感じ取った。転生前の世界においても生じた思いでもある。
【転生後も解かれぬ、その呪いが解けた暁には本格的な話ができるようになるでしょう】
 いったい、いつになれば赦されるのかと、あらためて頭を抱える魔女の王。
 【ドロシー様には私からも、事情を説明しておきますので、今後はオルド・リムによる贅沢は控え、いかなる状況下でも敵を殺せるような状態を保ち続けておいて下さいませ】
 彼女は悩まされているのだ。かつて彼女が生活していた次元が滅びてすぐに、MPが寝ても全くと言ってもいいくらいに回復しなくなる病を患ってしまったのである。
【術を唱えずとも、貴方に出来ることは必ずあるはずです。ルナ様は、お強い】
(そうねえ…………この子を幸せにしてやるために、ね。気丈に振る舞わないと、ねぇ…………)
 毛布に包まりながら寝息をたてている少年を見つめながら、それゆえの苛立ちを覚える。中に唾液の乗る舌だけがついている口を利き手につけたがっているかのように熱い裸体を使い魔の前で晒す意味などないのだと。
 青年は軽蔑の意をあからさまにしながらも、【まあ、そういう快楽を提供するのも大事かかと。単純に明日への活力になるようですから…………避妊具のためだけにMPを消費しても構わないと言えるのには理解が及びませんが】と愚痴りつつ、この島に来てからの毎日の日課を果たしておいた。
(ありがとう!! ありがとう!!!)
 オルド・リムが一回分唱えられる分の数字を頂けたと身体が理解したため、早速、コンドーム三枚入りの箱を出しておく。汚物を見る目をカンカン帽で隠さぬジュドを無視しつつ、恋人の起床を今か今かと待ちはじめる。
(性行為だけが人生だとでも叫ぶ気か? )
 この思いは、今の主に対してのみならず、他の大多数の人間にも抱くものであるとはいえ、やはり欲に溺れて無防備になるのは避けろと命じたくなる。レナ・カノンの娘であれば、偉大なる母と同じように、あらゆる事態を想定した上での一挙一動を心がけろと諭したい。魔術によって、自分自身以外にも使い魔を何体も召喚して日常的に護衛させるのは当然で、MPの底が尽きそうになる事態など一切ありえない状態を常に維持していたレナと比較してみると、どうにも不安になる。自分のようなサポーター兼ストッパーがいなくては、すぐに駄目になりそうだと懸念している。そして早く唇の端から滴る涎を拭いてほしい。妄想漬けの間抜け面が汚らわしい。花売りの身分でありながらも最期の最期まで清らかであった聖女の実子とは思い難い醜態。
 だが彼は、他の術師に鞍替えしたいなどとは一度も思ったことがない。死後もなお敬愛している女性の一人娘だからというような綺麗事からの心理ではない。
 ド・シュン。小気味よい無惨の音がした。
(小型で便利な道具は、どんな物でも、だいたい最高だぜーって考えたりしない?)
 そう伝えながら、おととい仕入れた特殊清掃用具を、のそのそと取りにゆく魔女の王。どうやら今回の刺客は、術で透明人間と化しナイフで寝首をかこうとしていたらしい。刃物で痛めつけたあとに強姦を堪能しようとしていたのだろうか?いや、寝静まった頃になるまで待てない事情でもあったのか? まさかと思うが透明化に成功したからといって完璧だとでも自惚れていたのであろうか?
 純粋な殺し合いであればルナ・カノンこそが最強だと、青年は思っている。特別な呪文を使わずとも空を飛べる特殊体質。ド派手な魔術に隠れて目立たぬ超人的な身体能力。いかなる耐性をつけようが高性能なバリアを貼ろうが、すべて無意味にしてしまうバベル。それで仮に殺害できずとも他の攻撃手段を多様に用意できるオルド・リムを唱えられる等の要素から、今の主は最も無敵に近い存在なのだと確信しているのだ。
 部屋のあちこちに、室外のコンクリートの壁の何箇所かに貼り付けられた、透明色の護符に抜かりはない。ジュドの愛用する、このアイテムが設置されているだけで、暗殺者が室内に忍び込んだ途端に、魔女の王の脳裏に警報音が鳴り響き、そして敵対者の動きを、長時間、封じ込めてくれる。ワンサイドゲームを始めるための仕掛けである。
 こうした罠への対策をろくに練れない素人ばかりが攻めてきているようだと、どういった事情があるかは知る由もないが今のところ自分たちを本気で殺す気は無いのかもしれないと、二人は思った。かつての次元で人類が滅亡する前であれば、この程度の防御策くらい容易に攻略できる猛者が勢揃いであったはずだ。敵地から約三百メートル離れたところに魔法陣を敷いて、そこから遠距離攻撃を行ってくる者や、守護陣による結界への耐性をつけてから突入してきた者などとの戦いを思い返してみると、手緩さが一目瞭然となる。
 人殺しを趣味にする者なら誰もが欲しがる「悪魔の掃除機」を用いて、黒い衣を纏った肉塊と生首と、室内に飛び散った鮮血を吸い取っていくルナ。駆動音が少々喧しいのが難点であるとは思いつつも、かつての次元では、これが最新型であったのだから仕方ないのだと溜息三つで不満を掻き消しておいた。
 だが、そのおかげで恋人の可愛らしい目覚めの瞬間を直視できた。生命の神秘を実感できる時を提供してくれるのであれば、ポンコツな機械であっても愛おしくなる。王である自分にも手に入りそうにない天使の守護を怠れるわけがない。たとえ鎖で繋ぎ止められたとしても、気を抜けば、知らないどこかへ連れて行かれてしまいそうなくらいに可愛い少年を、心の中で恋人と思い、毎日のように女体で生の悦楽を提供し、おまけに生活の安泰を保証させたところで、それだけでは彼をルナ・カノンがいなくては何も出来ない子どものような存在に仕上げられるはずもない。
 「意外と、綺麗好きなんだね」と微笑むドロシー。彼女の手にする掃除機の形状が、一般的なそれとは全く異なっていて、まるで異世界の道具のようだと目を丸くした。
「ごめんね。ありがとう。しばらく部屋の掃除なんて、ろくに出来てなくて。やっぱり全体的に、埃っぽい感じ、してた?」
ルナは苦笑いを浮かべながら、頷いた。ベッドの下の奥の方までは確認できていないのだが、それでも壁と天井と床に飛び散っていた血液のほどんどは吸い取れていたために、家庭的な女の子という実物とは真逆のキャラクターの演出に成功した模様。
「う、うーん、ちょっと風邪っぽくなってたから、かしら? 鼻に違和感があって」
 こう誤魔化しつつ、一般向けの製品と誤認されていると思わしき緑色のバナナの先端に付いたボタンを押して、こっそり内部を見てみると、黒い霧が広がっている。さきほどグギュロオンと吸収したはずの血と死体、おまけに埃や赤い髪の毛などのゴミ屑までもが、そこに残っていないのである。
【ドロシー様には、本日の襲撃の件を隠し通すつもりでしょうか?】
(そりゃ勿論よ。正直に言っちゃったら、あの子が不眠症に陥るかもしれないわよ?)
 そう言われ、まったくの正論であると首肯する使い魔を見て、ルナは苛立つ。能天気な姿も戦略のうちであるのだと、いまいち理解できていないように映ったからだ。
(ところで今日の刺客は、あたしたちの生命だけを狙いに潜伏していたのかしら?)
【吸い込まれる前の死骸から伝わってきた映像によると暗殺以外の目的は無いようです】
 主が、帝国の者を発見した瞬間に始末したせいで、大した情報は得られていない。仕事を依頼した男から任務の詳細を伝えられていると思わしき光景しか、頭の中に流れ込んできていない。敵を捕捉した直後に三分程度の余裕ができれば、肉声が聴こえてくるようになるのだが、そのような隙など滅多にできるはずもないのである。
 使い魔の中に生じた不安感を余所に、ふたたびルナは恋人に溺れていく。(これだから貴方は、いつまでたっても凶悪な餓鬼のままなのだ)と愚痴りたくなるジュド。しかしドロシーも、けして満更ではない様子のため、口を挟むのも野暮かと思い直しておいた。
 少年と少女は夜が明けるまでベッドの上で熱く濡れた肌を重ねながら、愛を交わし合おうとして蕩けていた。そのとき世界中の時計の針たちは回っていて、いまは老いの分からぬ可憐な二人を遥か遠くから見守っていた。一から十二の数字も、長針も短針も秒針も、情欲に燃える彼等に何も教えはせず、目と鼻の先に広がる景色の更新を待っていたのだ。

 それから約一ヶ月の間、真っ黒なヘリコプターが着陸するまで、少女たちは平和を堪能した。透明人間を用いた暗殺計画を失敗にさせたあと、帝国から次の刺客がベルドラード島に送り込まれなくなったのである。
 ここで暮らす以上は、敵の迎撃に忙しい毎日を送る羽目になるのが当然だとルナは思っていたが、あの程度の力量しか備えていなかった奴等が全滅したからといって諦めるような連中と敵対していたとも思い難いのだが、しかし、いずれにせよ、好きなものだけを食べられて好きなことだけをして生きられる期間というのは貴重だ。砂上の楼閣の如き楽園の中にいようが、そこで得られる快楽は本物なのだ。気持ちよさを大事に出来ない奴は何をやらせても駄目なのだ。ジュドが味方でいるうちであれば自分は無敵だと、そしてドロシーが傍に居てくれるのであれば、どれだけ最悪の事態に陥ったとしても絶対に何とかなると確信していた。わたしは奇跡を、いとも容易く起こせる、偉大なる魔女、という意味の籠もった笑顔を絶やさぬ日々の演出など、赤子を粉砕するよりも楽な仕事だ。
 幸福の絶頂を維持するためであれば手段は選ばない。どことなく懐かしい香りのする温もりが、この狂気を生み出すのである。