TH.Another Room

学生時代に書いた文芸作品をアップしています。

殺戮のルナ・メイジ 8章

【ルナ様、まだ起きていらっしゃいますか?】
 深夜2時。ジュドは円い天井灯の傍に立ちながら、ベッドの上の主にテレパシーを送る。彼女の額からは大粒の温い汗が白いシーツに垂れ落ちており、苦しそうな呼吸の音が灯りの消えた室内に鳴りわたっている。
【頼まれたものは全て入手いたしました。貴女様が始末なされた者たちが所持していた、三冊の魔術書はテーブルの上に置いておきます……薬は入り用でしょうか?】

(ブツは明日になったら確認する……そうね、今ほしい ……)

 使い魔はポケットから錠剤を一粒取り出し、主の唇に目がけて投擲する。王は口を小さく開ける。すとん、と舌の上に着地した睡眠薬を、こくりと飲み込む。服用してから数分も経たぬうちに、意識を失うルナ。

  ジュドは何気なく、シングルベッドの端っこで、くの字の姿勢で寝ているドロシーに向けると、気がついた。まだ、起きている。その水色の瞳の奥から伝わる奇妙な磁力に引き寄せられ、二人の寝るベッドの脇に降り立つ。

 それにしても、実に雰囲気が被る。この少年とはじめて顔を合わせた時から思っていたが、あの白い猫耳を生やした青年を彷彿とさせる。

 珍しく、人間と対話をしてみたくなった。

【……ドロシー様。夜遅くに申し訳ありません。一つ、ご質問があるのですが、よろしいでしょうか?】
(……あ、こんばんは。いいですよ。なんでも聞いてください)
【これはルナ様にも言えますが、なぜ昨日出会ったばかりの他人に対して、心からの信頼を寄せられるのでしょう?】
(え? ……うーん……わかりません……悪い人じゃなさそうだった、から、かな……)
【悪人とは、思えない、ですか】

 首を傾げるジュド。人の考えることなど自分には知ったことではないが、今回のケースに限っては、どうにも腑に落ちない。この世界においてライトメイジであるドロシーと、この次元においてもダークメイジとして認知されるルナが、親交を深められている事実については納得できても、まともな人間ふたりが出会って一日も経たないうちに、実の姉弟か普通の恋人どうしの関係性が出来上がっているように見えるわけが、全くわからない。いくらなんでも距離感の縮まり具合が早すぎるのではないか。

【ルナが怖いとは、まるで感じないのですか?】

(いえ、ぜんぜん)

 男女の仲は謎解きのできないミステリー小説であるという、かつての次元の偉人の格言もどきが、ふと頭によぎった。掘り下げても仕方なさそうだ。

 (あの、僕からも質問していいですか?)

【なんなりと】

(ジュドさんは、ルナが生まれた頃から、ずっと傍にいたんですか?)

【いえ。今の主とは付き合ってきた期間こそ長いですが、私は元々、ルナ様の母であるレナ・カノンの使い魔なのです。数時間ほど前に自称・ユダマの語っていたとおり、レナ様は、もう生きてはおりませんが、彼女は、私の目から見て、とても立派な母親であり、偉大なダークメイジでした】

 レナは、ちょうどドロシーと同じ髪色をしていて、この世のあらゆる悪を包み込む優しさを秘めた目をした聖なる女性であった。そして、かつてルナとジュドがいた世界で、各地で勃発するLとDの争いによる戦災から、無力な人々を守るために、その強大な闇の力を、人種差別なき世を実現するためだけにふるった孤高の魔術師でもあった。

 ふと脳裏に浮かぶ、川べりの草原に建つ小さな木の家の傍で、木製のブランコをこぎながら無邪気な笑い声をあげる幼い子と、その様子を緑の木陰から温かく見守る母の姿。もう二度とは戻らない美しき過去。ルナが産まれ育ったそこは、レナの魔術「アン・バーリア」の効果によって、誰にも知られるはずのない安寧の地。当時、LとDの大戦はL側が圧倒的に有利で、D側の人々には、まともに生活できる場所の確保が極めて困難だったゆえに、愛する娘を守るために生み出された魔導の領域であった。

 だが不幸にも、魔女の王が4歳の頃、レナ・カノンの命を狙う悪しき聖術師によってアン・バーリアは無効化され、胸元に聖なる十字紋の付く白い軍服を着た謎の兵隊から、突然の襲撃を受けて、彼等の策略により、レナは術を使えない身体になってしまったのだ。幼少期のルナに、正式な訓練を受けてきた術師たちを一蹴できるほどの力が無ければ、二人が助かる見込みはなかったであろう。

 しかしレナの術が永遠に封じられた損害は、あまりに重すぎた。あれ以来、母娘は悪臭の漂うスラム街で暮らさざるをえなくなり、ルナは毎日、母特製の、左頬の黒い紋章を白くする、幼い彼女には副作用がきつすぎる劇薬を飲んで、L側の子どもにしか通えない小学校に通うようになった。母親としてはルナをD側の子どもを育てる学校に通わせたかったのだが、自宅からの距離や経済的な事情などの様々な問題からできなかったのだ。当時はルナも飛行能力を有していなかった。レナは娼婦として、生活費と教育費を稼ぐようになった。貧しい暮らしだったが、それでも、ベルギム・フォーゼンという、黒い十字紋が左手についた高名な学者の男と、家族として共に過ごしていた頃よりは、遥かに幸福な日々であった。
 レナとベルギムは売春宿で出会う。彼女の美貌に惹かれた、銀縁眼鏡をかけた男からの熱心なプロポーズによって結ばれることになった。娘はレナが大して好きでもなさそうな人物と結婚するのに賛成できなかったが、彼の顔や言動から伝わる底知れぬ不気味さが嫌で仕方がなかったが、母を少しでも楽にさせるために、ぐっと我慢し、結局、ルナとレナはスラム街を離れ、マルモンドというDの人々だけが集う軍事国へ移住したのである。

 これが悲劇の始まりであった。

(ジュドさん? どうかしましたか?)
【いえ、なんでもありません。すこし昔を思い出していたのです……他に御質問は?】

(ジュドさんから見て、レナさんとルナなら、どっちが強いですか?)
【娘の方、ですね。なにぜ、レナ様とレオ・カノンの二人の血を引いているのですから】
(ルナのお父さんって、凄い人なの?)
【レオ様は私がレナ様に仕える以前に行方をくらましたため面識はないのですが、伝わるところによると、本気を出せば、一つの惑星はおろか、全宇宙すら滅ぼしかねないほどの力の持ち主らしいですね。やる気になれば人類など容易く皆殺しにできるルナ様であろうとも、流石に宇宙までは不可能でしょう】
 少年は目を瞬かせた。彼が何を言っているのか、まったく理解できそうになかった。いくら強力な魔術を扱えようと、ひとりの人間が、宇宙を滅ぼせる? 人類を容易く皆殺しに? 大真面目な顔で語られた嘘にしては、スケールが大きすぎるのではなかろうか?
【まあMPとMPSが切れれば魔術師であろうと聖術師であろうと無力と化すのは真理です。たとえレオ・カノンやルナ様がどれだけ強大な力を有していようとも、彼等が人である以上は限界も生まれてくる……】

 (えむぴい? えみえすぴー? っていうのは、どういう意味ですか?)
【おや、ご存知ないのでしたか。なら明日になれば教えましょう……ドロシー様、そろそろ眠くなっている頃ではありませんか?】
(……うん……たしかに……でも最後に、一つだけ聞いてもいいですか?)
【はい? なんでしょう?】
(ジュドさんは人の過去が視えるみたいですが、僕のは、どこまで分かりますか?)

【ええ。多少は把握しておりますが】
(多少って、どれくらい?)
【はい。ドロシー様はエルハープ大陸のロマティスという長閑な町で、父・ロイドと母・ルシアのもとで生まれ育った“一人娘”でした。しかし貴女が十二歳のとき、奇しくも、大切なご両親が流行りの重い感染症――それも聖なる回復術が効かないほどの病にかかり、その病気を唯一治せる高級な薬を手に入れるために、偽名を用いて、色に飢えた獣どもを相手に『夜の花』を売りはじめました。苦節の末に、何とか目的の物は手に入れられたのですが、不幸にも、その頃にはルシア様は病死してしまい、結果的に命を助けられたのはロイド様だけでした。そして中学校に通いはじめる時期が迫り、どうしても売春婦として働いていた痕跡を消し去りたかった貴女は、知り合いの魔術師の男に「自分の身体を売るから、性転換の術をかけてほしい」と頼み込んだ結果、無事、男性になれました。今のところ、この程度の情報しか入ってきておりませんね】
(………………………………………………凄いですね……ルナには内緒にしてて下さいね)
【もちろん。人は皆、誰にも言えない過去を持っているものです。それは我が主にしても、同じです】

 この少年も、今の主も、お互いに己が体験した過去を映画化でもされてみれば、自殺しかねないな、と思った。また、もし彼が彼女よりも先に早死したとしたら、きっと魔女の王は、この世界においてでも『アモーゼ島』を探し出すのだろうな、とも思った。

 アモーゼ島。唯一、不死の命を持った者が最期を迎えられると伝わる、幻の場所。ルナは、その名前を、数年前、学校の図書館で『世界ミステリー図鑑』を読んだ際に知った。書籍には、こう記述されている。「とある湖に浮かぶ小さな島の遺跡の中央部には、果てしない闇へと続く大きな穴(別名:救済の大穴)がある。穴の底がどうなっているのかを知る者は誰ひとりとしておらず、そこへ身を投げたした者は二度と現世には還れない」
 あちらの世界では、一般的にアモーゼ島は“おとぎ話の産物”として知られているが、あそこは現実に実在しているのだ。著者が本に載せた地図に示した位置へ、実際にルナが空を飛んで行ってみると、たしかに普通の人間には、それなり程度の魔力の持ち主では、視えるはずもなかった。なぜならば島全体に透明化の術が仕掛けられており、通常の肉眼では、ただの青い海しか映らないように仕掛けられていたからだ。
 だがルナには視えていた。特別な術を使うまでもなく。そして彼女は、そこで一度、自殺を図ろうとしている。

 ――過ぎた話だ。終わったことを、だらだらと回想していても仕方ない。
【ドロシー様、ルナ様の過去や、我々がここに来た理由は、知りたいですか?】
 もっともジュドにしても、魔女の王がパラレルワールドに転生した理由については、まるで分からなかったのだが。
(……大丈夫ですよ。深くは詮索しないから)
【……助かります。では、そろそろ、おやすみなさいませ】
 そう言うと青年は、家の壁をすりぬけ、どこかへと消え去っていった。 今夜は珍しく、地面に降りたって、夜空の月でも見上げてみようと思いながら。