TH.Another Room

学生時代に書いた文芸作品をアップしています。

殺戮のルナ・メイジ 6章

 その日の午後は、授業をサボって学校の屋上からシリアルキラーのような青空を眺めていた。今日も聴こえてくる。私たちユダマの使徒らが殺戮してきた、マリアの使徒たちの嘆き声。生まれた時から白い十字紋を体につけていただけで迫害された者どもの悲痛の叫び。耳を削ぎ落としたい。鼓膜を破って自殺したい。嗚呼、こんな日にかぎって愛用のウォークマンを部屋に忘れてきてしまうとは! レッドハーツの、レッドハーツの歌が聴きたい! 彼等の音楽だけが今の私にとって唯一の支えだ! 右腕の大蛇のような切り傷が疼いて痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い!    
 死にたい。あいつと母が再婚して、私にとって居心地の良かったスラム街を離れ、聖術師(ライトメイジ)を殲滅するための魔術師(ダークメイジ)を養成する学校に通わされるようになってから、毎日のように思うようになった。これ以上、彼等を嬲り殺しにしたところで何になる? たしかにL側の人々は、遥か昔から、つい数年前までにかけて、私たちD側に沢山の酷いことをしてきた。でも、だからといって、その蛮行をやり返していいわけにはならないはずだ。にもかかわらず、どうして新しい父も教師も同級生も、気味の悪くて堪らない笑い声を上げながら、彼等を襲い続けられる? 結局のところ、DもLも同じ人間に過ぎないではないか。ただ皮膚についた紋章の色が違うだけで、なぜ、あんなにも醜い争いが起こってしまうのだろう。聖神マリアよ。邪神ユダマよ。何故お前たちは償おうとしないのだ。何故お前たちが創造したLとDの術師を無へと還さない? 貴様たちが人類に術の才能を与えなければ、現在の紛争が生み出されるはずもなかった!
 だが私一人の手では、どう足掻こうとも解決できるはずのない問題を考えあぐねても無意味だ。受けにいこう。退屈な授業を。先生には、この前と同じように、「昼休みにL側の人間を見つけたから、さっき始末してたんです」と言って、その証拠となる写真(道端で焼死していた見知らぬ青年が写っている。けさ撮ってきたブツである)を持っていけば、長い説教をくらわずに済むはずである。そう思って、重苦しい身体を無理に引きずってまで、嫌々ながら教室に戻ろうとしたのだ。
 けれど本当は、あの時点で学校を抜け出すべきだった。鉄網フェンスを乗り越えて、空の彼方にでも逃げ込むべきだったのだ。
 今も分からない。スラム街で暮らしていた頃、大の仲良しだったエルザが、どうして実験室で磔にされながら、断腸の思いを込めて泣き叫んでいたのか。
 そこにいた人間はエルザだけだった。明るい日差しの差し込む室内に響き渡る、黒いローブを纏った餓鬼どもの嘲罵。黒板の前でパイプ椅子に座りながら、悪意の充満した光景を観賞している男の教師。無力な少女に、未熟にして邪悪なる雷を、氷塊を、小火を放つ邪悪な魔術師たちを、そして、その所業を止めようともしないばかりか、むしろ愉しんで眺めている狂った大人を、自分と同族であると絶対に認めたくなかった。そして理解できなかった。何故、彼女を痛めつけることが、そんなにも愉快なのか。右頬に白い十字紋が付いていただけで、あの子が魔術の実験台として扱われてしまうのか。
 嗚呼、間違いなくエルザは惨殺される! 
 やむを得ない。母さんには悪いが、あの日と同じように彼等を『分解』するしかない。「止めて! お願い!」と叫んだところで、まず事態は解決しないだろうから。幸いにも奴等は、廊下側の窓から、災禍の舞台劇を眺めている私の存在に、気づいていないようだ。絶好のチャンスだ。私は醜い魔術師どもを見やりながら、禁忌の術を唱えた。
「バベル」
 わずかに開かれていた窓から術の詠唱を耳にしたのか、エルザが私に視線を向けた。
 その瞬間、小気味よい爆破音が鳴り響く。
 弾け飛ぶ無数の四肢。
 ぷぴゅらららららららららららららら。
 吹き散らばる黒い鮮血。
 おそらく地獄とは、こういう場所なのだろう。と、空想してみたら、なんだか愉快な気分になれたので、久しぶりに笑顔になれた。
「ルナちゃん?」彼女の怯えた声が聴こえてきた。
 本当に、こんなところで再会するとは思わなかった。ブロンドの前髪に僅かに隠れた白い十字紋と、所々が破れている見慣れた薄茶色の服を、ふたたび見られる日がくるとは。
「エルザ! 大丈夫、すぐ助ける!」
 そう言って、甘い死臭の漂う実験室に足を踏み入れ、エルザの傍へ近寄ろうとした。
 けれど彼女は顔を震わせながら、眼をきつく瞑りながら、「来ないで!」と喚き叫んだ。
 息の根が止まりそうになった。だが、今、思い返してみれば、当然の反応だった。当時は母さんから貰った、一ヶ月に一回は服用せざるを得なかった例の薬を、頬の黒い紋章を白くする劇薬を飲んで生活しながら、エルザをはじめとした周囲の人々に、今の今まで自分をL側だと誤認させていたのだから。

 両親と友人を魔術師たちに惨殺された過去を持ったエルザに、そんな嘘をついていたのだ!
 私は涙を堪えつつも、黒い磔柱に駆け寄り、エルザを急いで逃がそうとした。
「いや! 近づかないで! いやあ!」
「お願い! 落ち着いて! ここから早く抜け出さないと、他の奴等に――」
「死なせてえっ! 死なせてえっ!」
 絶句した。心臓が止まりそうになった。
「みんな嫌い! みんな大嫌い! どうせわたしはあの日死ぬはずだったの!」
 閉じられた瞳から流れ出す、ふたすじの、
「どうせわたしはあの日死ぬはずだった!」
 絶望の涙を見て、
「ママはわたしのことなんて庇わなくて良かった! わたしには術の才能なんてないんだから、このさき生きてたってしょうがないのに!!」
 沈黙するほかになかった。
「貴様等! これは一体どういうことだ!?」
 私達のやりとりを聞きつけたのか、大勢のダークメイジが教室の外に集まってきたのだ。
 暗黒が臓器を蝕んでいく。今までは母さんのために耐えていたが、もう限界だ。
 こんな世界など今ここで終わらせるべきだ。地も空も人も何もかも虚無の彼方へと失せてしまえばいい。
 私は禁断の呪文を唱えた。

 

「   」


 それから先のことは、よく覚えていない。
 ただ校舎中に無数の死骸が転がっていた。
 みんなバラバラ。とにかくバラバラ。ひたすらバラバラ。スクラップみたいな四肢。

 有象無象の腕と足。香水のような赤黒い液体。
 実にあっけなく終わった。ここまで簡単に皆殺しにできるとは思わなかった。生徒も教師も皆、所詮は雑魚に過ぎなかった。
 きこえてくる。丸時計の針が進む音。
 でもエルザの叫びは、もう聴けない。
 もし自分が男だったなら、あの子を恋人にするつもりだった。可愛くて、美しくて、誰よりも優しかったから。

 なのに、どうして、私は、彼女を……?

 私は陽射しの差し込む実験室にて、床に転がっていた一本の腕の中指薬指小指を踏み潰し、聖なる少女の生首を拾い上げて、ぽつり、ぽつりと、歌い出す。エルザも大好きだったレッドハーツの、あの曲を。

 生まれたところや 皮膚や目の色で
 いったい この僕の
 何が わかるというのだろう――