TH.Another Room

学生時代に書いた文芸作品をアップしています。

アレンジテキスト「歩み続けるための自殺 1-1」 文章モデル:アルトゥル・ショーペンハウアー「自殺について」

副題「死によって私たちの存在は滅ぼされない:前」

 ①

 罪業の意識より、我々は最善となりゆく。

 ②

 我々は死を極めて恐れ厭う一方で、一切の腐臭が浄化された世界への旅立ちとして考えることもある。これら二つの状態には、いずれにも正しい根拠はある。前者は時間的意識に満たされているため。後者は、前者の意識と、時折思い出してしまう「過去の一部」を混ぜ合わせる思考&究極的な秘密が解き明かされることによる快感が得られるであろうという期待のため。大抵の場合、経験を積み重ねてきた意識には、「己が存在そのものの、おぞましさ」と「この世の災禍」が付き纏ってしまい、世に蔓延る「病魔ごころ」(「迷い」と「予測不能」と「悪だくみ」と「愚かしさ」に満ち溢れた空間)によって研ぎ澄まされていく意識は、研ぎ澄まされていけばいくほど、「死」にとりつかれてしまう。我々を悩ませる他の人々の「病魔ごころ」は、もともと我々自体にも一様に備わっている。ゆえに私たちの存在そのものの内側に、おぞましさが象られてゆく。形あるものは皆、「形」から抜け出すことはままならず、「形」あるものなりの悩みを抱え、やがては消滅せねばならず、形あるものには外部からは何の救いも訪れない。しかし形あるものの中には「形無き永遠のもの」も存在し、「自己肯定/アイデンティティの確立」と「最善の行為」を積み重ねていくことによって、己の中に眠るソレを少しずつ認識してゆくことで、自らの「形」そのものに救いを与えることはできる。

 自らの欲を禁じ、苦行の道を突き進むということは「過去・現在・未来への、おそれからくる行い(しかし否定ではない)/精神の純潔を保とうとする態度」であり、快楽追求は「過去・現在・未来への肯定/精神の純潔を、嘲よう/愛でようとする態度」であり、精神の純潔を保護しようとする行いは、己の意識を他者の「甘美性」から、自己の「皆苦性」へと進む移りゆきである。しかし「精神の純潔」が大多数の者に守られるようになれば、人類は死滅するであろう。

 自らの意志による飢餓死の過程こそが、時空に対する最高位の抗い。永い時日にわたる苦しみとともに死にゆこうとする意向は、欲に塗れ途轍もない悪臭の漂う世界への、全否定。

 ③

「私は存在しないものに、いつか、なるのだろうか。しかし、もし私が無くなっても、それでも何かは残っているだろう!」

「あなたの言ったことを、そのまま捉えるだけなら、あなたは正しいことを言ったことになる。しかし、あなたが、どこまでも深い思考の末に考えついた結論であろうとも、結局、私は、あなたの奥底までは知れないのだ。どれだけ仲を深めようとも、ね。それだけは忘れないでほしい」

 

(続きは気が向いたら更新しますね)