TH.Another Room

学生時代に書いた文芸作品をアップしています。

地獄

「ぼくは君のことを忘れるべきなのだろうか。それとも、いつまでも友達だと思っている方が、君は喜んでくれるのだろうか」

 

  『1』

 去年の十月上旬に知人から連絡を受けて知った。同じ年の九月に、親友のYが自殺したことを。自宅で首をナイフで切り裂いて、大量出血で死んでしまったらしい。

 不思議と悲しくなかった。ただ胸の中が空っぽになっただけだった。(ああ、やっぱりな……)としか思えなかった。Yならやりかねない。いつだって、どこだって、「死にたい死にたい死にたい……」と呟くような人間なら自然な話なのだ。自殺を考えている人は普段から死への願望を語るものなのだ。

 実際、実の父親もそうだった。あの人も、「しにたいしにたいしにたい……」とよく言っていた。そして愛車の中でガス自殺を図った。高校の入学式の前日に。

 だから僕には耐性がついている。大切な人の喪失に対する。だから驚かない。泣きもしない。たかが親友の死ごときに涙を流す必要性がわからない。ただ虚しくなるだけだ。本当に虚しくなるだけだ。自殺なんて小説の題材にしたところで面白くも何ともない。

 

 ある日、Yの母からメールが届いた。(五年前、彼女から息子の素顔を、よく知りたいと言われたためにメルアドを交換したのだ。正直、結構異常な気がするが事実である。その辺の詳細を語りだすと原稿用紙三十枚は遥かにオーバーしてしまうので省略する。簡単に言えば奴の性格に難がありすぎたのが原因である)文面は次の通りだ。

「あの子のことで話があります。ぜひ土日のどちらかに、家に来て貰えませんかか」

 それを読んで僕は面倒くさいと思った。お前は本当に親友なのかと突っ込みたくなるかもしれないが、そう感じてしまったものは仕方ない。最低と言われるかもしれないが、たかが死人のために労力を使いたくないというのが本音だ。だから、こう返信した。

「すみません、もう、あなたたちとは関わり合いたくないんです。もう構わないで下さい。今後金輪際、いっさい、絶対に」

 自分でも言いすぎだと分かっていたが、正直あの女に対して、いい感情は持っていなかったのだ。自分が産んだ子に対して上手に接することが出来なかったために、僕を利用して息子を知ろうとする態度が気に食わなくて堪らなかったのだ。昔から、ずーっと。

 僕じゃなくてYに直接聞けばいいじゃん。あんたホントに実の親なのかよ……と思いながらもアイツが生きてるうちは我慢した。けれど何故、我慢していたのかが思い出せない。生きてるうちに言ってやれば何か違っていたかもしれないが、もうどうでもいい。

 どうせYが死んだ理由を何か知らないか? とでもウダウダと尋ねたいだけなんだろ!? お前に何が償える!?……本当は、そう言ってやれば良かったのかもしれないが、結局、伝える度胸がなかったのである。

 やがて女から返信が来た。

「ごめんなさい、本当にごめんなさい。私なんかが母親でごめんなさい。でも最後に受け取ってほしいものがあるんです。どうか、お願いします。あの子から貴方に手紙があるんです。どうか読んでやって下さい」

 メールを読み終えると、僕は心を痛めた。さすがに言いすぎてしまった。あの人がYを愛していたことを忘れていた……。月に一度ほど「最近Yと、どんなことを話したか、僕と一緒に遊んでいて楽しそうだったか」等を聞いてきたのも息子が大切だったからであり、書く事を(生前のYと、その母から)禁じられるほどの複雑な家庭環境のせいでもあるのも忘れていた。この場で言えるのは、それのせいでYは両親を異常なほど嫌っていたことだけだ。

 とにかく……ここまで言われてしまえば、やむを得ない。久しぶりに行くしかなかった。僕が高校三年生の頃の三学期以来、一度たりとも足を踏み入れていない、Yの家に。

 

 ピンポーン。

 ある土曜日の午後。小さなインターホンを押すと、白エプロンを身に付けた彼の母が迎えてくれた。ほのかに香水の香りがした。相変わらず美人だな……と一瞬だけ思ったが、その後すぐに気がついた。

「わざわざ、ごめんなさい……」

 今にも泣き出しそうだった。目が濡れていた。声も震えていた。彼女の美しく大きな瞳からは、すぐに涙が溢れそうだったのである。

 この雰囲気が無性に嫌だった。いっそ犯して狂わせたくなるほど嫌で堪らなかった。

「……すみません……ずっと借りっぱなしだったCDと本を返して、手紙を受け取ったら、さっさと帰らせてもらいます……」

「……そうですか……お茶、飲みますか?」

「……要りません……今日ここに来たのは、あいつの部屋に寄るためだけなんで……あなたと話してる暇はないんです……」

「……わかりました。息子の部屋は生前の頃のままにしてありますので……どうぞ、ゆっくりしていって下さい……」

 僕たちは玄関に上がった。すると彼女は僕の方を見向きもせずにポツリと言った。

「……わたしは寝ています……」

 そしてYの母は、一階の寝室に閉じこもってしまった。その日、彼女とは、これ位しか会話をしなかった。する気もなかったため丁度よかったが、僕の背中は寂しさを感じ取った。はっきりとした虚しさに襲われた。

 僕は、リビングに飾られていた端正な顔立ちをした親友の遺影の前には寄らずに、二階へ上がっていき、彼の自室に入っていった。

 そこにはYにとっての理想の世界が凝縮されていた。芥や埃が一切なく、室内の整理整頓が完璧になされた、病院の病室と同じぐらいに綺麗な空間。布団やテーブルや座椅子や本棚等の家具類は全て白で統一されており、人によっては逆に居心地が悪くなってしまいそうなほど清潔である。ここで毎日寝ていたら、いつか発狂しそうな気がする。

 それにしても懐かしかった。つい涙が零れてしまいそうなほど、なつかしい。

 しばらくの間、僕は白いスプリングベッドに座っていた。彼が傾倒していた鬼束ちひろのCDを勝手に流しながら感傷に浸っていた。

 やがて三時になったため、帰ることにした。特に用事があるわけでもないが、先に言ったとおり長居するつもりもなかったのだ。

 僕は自分の黒いバッグから、ずっと前に彼から貰い受けた、ブルーハーツのCDと三冊の本(サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』、ケッチャムの『隣の家の少女』、山田花子の『自殺直前日記』)を取り出すと、ぴかぴかで真っ白な学習机の上に置いた。これらはYが絶賛していた芸術品であり、僕にとっても大切な物だ。今になって返却するのも非常識だと自覚していたが、何故だか返したくなる衝動に駆られてしまったのである。

(……ふう)やるべきことをやり終えた僕は心の中で息をついて、小さな喜びを体中で味わうと、机の側から離れようとした。

 すると気がついた。僅かに数センチ程、鍵穴のついた引き出しが開いているのを。

 それを見つけてしまったせいで、つい魔が差してしまった。僕は迷わず取っ手を引いた。

 そこには長形の茶封筒が一通だけあった。手に持って観察してみると、表裏には何も書かれていないが、どこか異様な重さがある。

 その時の僕には良心やら常識やらが欠如していた。ただ奇妙な興奮に身を任せ、何の躊躇いもなく封筒を開けた。 

そして思わず呼吸が止まってしまった。

 中には一枚の白い便箋、僕宛の手紙があったのである。

 僕は胸の中が真っ白になりながらも、本文を読みはじめた――。

 

  『2』

 

  始まりの場所は

  壁と床が真っ白で

  ドアがどこにもない

  小さな部屋 

  逃げ場のない聖なる牢獄

 

  そこで僕は辺りを見回している

  からっぽなのに がらんどうなのに

  何かを一生懸命探している

  祈りを捧げるように

 

  声がした 

 

  「僕は永遠の静寂を手に入れる」

 

  僕は視線を床に向ける

  僕の真下に一枚の写真が落ちていた

  写っていたのは一匹の子すずめ

  アスファルトの上で眠りながら

  首と体が引き裂かれている子すずめ

  黒ずんだ血が 部屋中を

  真っ赤に染め上げた

 

  声がした

 

 「澄み切った空の青と、僕の手首から流れる赤に違いがあると思う? 本当に本当に?」

 

  僕は視線を天井に向ける

  まるで世界の空白を満たすかのように

  血走った眼球が綺麗に埋め尽くしている

  彼等は虚無に目を向けているのか?

  天使の翼を幻視しているのだろうか?

  僕は悲しくて涙が止まらなかった

 

  零れ落ちた一滴の雫は 

  都市の形を模した地獄となって

  やがて一本のダガーナイフは 

  すべての神の神様を切り裂くのだろう

 

  声がした

 

 「父さんも母さんも仏陀様もキリストも、本当はいない。全部まやかし」

 

 「虚妄だ虚妄だ虚妄だみんな虚妄だ虚妄だ虚妄だ虚妄だ虚妄だ虚妄だ虚妄だ虚妄だ虚妄だ虚妄だ虚妄だ虚妄だ」

 

  どこかの都市の交差点で

  くすんだ黒を被った人の群れが

  軍隊のように行進している

  野ウサギやチーターに走る隙間がない

  けれど足音は聞こえてこない

  虚しさに覆われた巨大な街

 

  声がした

 

 「懐かしい記憶 精神病院

  本当の家 本当の友達

  自転車 橋の下 歩けない

  どこにカーブしても辿り着けない

  どこにも巨大で醜悪な建物があって

  どこでもそいつらが邪魔をする

  工場地獄、工場、工場、工場

  クッションのようなゴミ袋に詰め込まれた

  等身大の人形の喜怒哀楽の表情 

  永遠の謎」

 

  僕は歩いている

  柔らかくて臭くて臭い道の上を

  浮き出る血管 夜の街の心臓

  究極の腐敗 穢れた香り 

  顔が蒼くなってしまうような穴

  心臓が心臓が 溶けてなくなってしまう

 

  声がした

 

 「顔が隠せないから助けて」

 

  気がついた

  湖に浮かぶ小舟の上で

  お母さんが生きているのに死んでいるのを

  花を破った 人を殺した 

  少女の首を絞めて殺した

 

  声がした

 

 「裏切られた理由が今でも分からない」

 

  深夜の子供

  窓をノックする 廊下から星と月を眺める

  未知の街灯を求めて彷徨い続ける

 

  声がした

 

 「どんな橋を渡っても

  結局は同じところにしか

  たどり着けないことを

  知らなかった方が

  しあわせだった」

 

  耳 神 膣 神

  手 神 足 神

  頭 神 皮膚 神

  臓器 神 爪 神

  聖母の言葉 聖なる夜 転落する肉体

 

  声がした

 

 「家族は地獄 家は地獄 公園も地獄

  夢の中でも地獄 

  墓場は天国 宵闇の土は天国」

 

  私の愛する林檎が消えた 物語が失われた