TH.Another Room

学生時代に書いた文芸作品をアップしています。

「毛布の上には何もない」

 朝、起きて、気がついた。見知らぬ女がベッドの上で、毛布をかけられて死んでいる。
 これが死体であるのは、なんとなく分かる。そう理解していること自体が、我ながら奇妙なものだと思う。息はしていないし、何者かから後頭部を鈍器で殴られて逝ってしまったのだとも推測できるのだが、どうしても生きているようにしか見えないのである。彼女が、頭から鮮血を垂らす死人であるにも関わらず、健康的な美を見せつけているからだ。
 しかも彼女を包み込んでいる毛布の下には、人間の肉体が無いのである。首から下が空洞で、まるでマネキンの頭部が寝かしつけられているようにしか見えないのである。
 それでも、この女は、まぎれもなく官能的な女なのだ。まだ死んでなどいない。生きている。毛布の中には膣が隠れているはずだ。
 そう妄想してみたら、背後から弓矢を放たれたような気がした。しかし悲しいことに、部屋の中には私以外に何者も存在していない。
 昨晩、私は、いつものように何もしていない。朝起きて、夜が明けるまで、ずっとベッドの下で横たわっていて、頭の中で鳴り響く雷の音に苛まれる一日を送らざるを得なかったのだから、おそらく彼女を殺してはいないはず。きっと死神の仕業だろう。
 だが、死神の正体とは何であるかなど、知る由もない。この右足に突き刺さっている包丁であろうかと疑ってこそいるが、証拠もなく彼を罪人だと決めつけるわけにもいかない。第一、女の死因は刺殺ではない。少なくとも昨日は、殺っていない。
 二日前に、学生証の雰囲気を身に付けたシャープペンシルのペン先に触れられた大学ノートであれば、真相は分かるのかもしれない。そう考え、話しかけようとした。
 だが、すでに彼は白いインクと化していた。彼の変身前には、当然、黒のボールペンであった過去など、あるわけがない。もう二度と、お気に入りのノートに生きている証としての言葉を刻みつけることができないのであろうか、と、想像してみたら、目から涙が流れてきた。毛布の中の世界に、八つ当たりをしたくなってきた。そして、ライターの点火の音がした。それは数時間もの間、何度も何度も鳴り響いてしまい、やがてベッドの上からマネキンの頭部は消え去ってしまっていた。
 新たなる種が、薄闇を纏った土に忍び込んできたような心地がした。透明色の凶器を、腐った蜜柑を漬け込んだ果実酒の入った花瓶から取り出し、私は起き上がる。