TH.Another Room

学生時代に書いた文芸作品をアップしています。

「少年と死神」

 一
 
 ポケットの中のビスケットを叩いてみた。パキッという音はしたはずなのだが、さっきまでは満月のような形をしていたビスケットは一枚しか入っていなかった。右手の、人差し指と中指と親指に摘まれた半月を無邪気な笑顔で観察していたら、背後から深夜の闇が伸びてきた。そして謎の声がした。
ごちそうさん。うまかったぜ」
 目の前に差し出された、痩せこけた黒猫を彷彿とさせる何かを凝視してみると、ただ単に、フードのついた黒い衣服を着用している死神が、僕の背中に近寄っていただけなのだと分かった。余談だが今日ではじめて、彼に腕が生えているということを、人間と対話する能力があることを理解できた。
「ボーイッシュな美少女がストーカーしに来たのかと、ちょっと期待してた」
「おめー、顔を仮面で隠した醜女であろうと、手とか足とかが綺麗なら美女だと決めつけるタイプのマセガキか?」
「そんなことはないと言いたいが、無念ながら、まだ僕は十五歳で、現時点では一度も彼女のできていない童貞であり、処女だ」
「そうか。ところで、そのビスケット、もらってもいいか。まだ食い足りねーんだ」
 ほい、と、語りかけてみて、ふと思った。
「ところで君、三日前からさぁ、なんで取り憑きはじめたのさ。別に嫌じゃないし害も無さそうだから構わないけども」
「お前を守るため、と、言ったら、笑うか?」
「いや、全然。ただ、もっと守る価値のあるものを見つけようとしてみたら?」
「価値ぃ?そいつは人間の世界の食べ物か? 」
 この自称・死神は、本当に死神なのだろうか? たしかに顔が髑髏で、左手に沢山の血痕のついた小さな鎌を持っているところだけを見れば、典型的な死神だと思えなくもないが、お菓子や果物、鮪などを好んで摂取するあたりからは、とある有名な少年漫画に登場する架空の死神っぽさを感じる。
 ただ、守るために出現した、というのは嘘ではなさそうである。昨日、僕を、いわゆる魔法使いに、それも無慈悲極まりない魔法使いにジョブチェンジさせたのは彼なのだ。
「あー、前方に注意しろ。マセガキ」
 なぜだろう。まだ今は、夕方のはずである。
 
 
 二

  

 さっき俺は、こう言った。テメーを守るために、やってきた、と。だが、正直、前言撤回したい。そして、人気のない深夜帯でない時に、巨大な炎を放つのは止めて欲しい。
「あのー、俺様の話、聞いてた?」
「多分、よく聞こえてなかったと思う」
 この自称・十五歳の青年に魔術師の力を授けたのは間違いなく俺であり、こいつ本人が言うには「魔術ってやつを使ったのは、昨日ではじめてなんだ」らしい。
 人間の世界に自らの意志で降り立った当初は、フェルイアなどの簡単な呪文だけでも倒せるようなゴーストを退治できるようになって欲しいと願っていたのだが、正直、強大なゴーストを倒すのは俺の仕事だとばかり意気込んでいたのだが、なぜだが頭を抱えたくなるくらいに、ボンドガボンと、高位呪文を連発している。どう考えたって、魔術を覚えたばかりの素人が、二日目でシヴァロードとかエクスフレアとかを使えるのは、おかしい。もしかして、こいつ、異世界転生モノの物語の主人公? いや、そんなはずはない。こいつは、かつて、人間の世界に誤って落下してしまった小さい頃の俺を助けてくれて、俺が自力で元の世界に戻れるまで面倒を見ていてくれた命の恩人でこそあるが、死神たちからしてみれば単なる凡人でしかないはずなのだ。凡人でないなら、その片鱗は幼い頃から発揮されていたはずなのだが。
 だが俺には、こいつが凄い人間であるとは、まだ思わない。本当に凄い人間であるならば、俺たち死神の常識を超えたことを、しでかさなくてはならないのだ。ゴーストを力で圧倒できるだけでは駄目だ。しかし幸いなことに、このマセガキは、自らの力に自惚れるような態度は見せていない。むしろ、つまらなさそうだ。それゆえに、楽しみで仕方がない。