TH.Another Room

学生時代に書いた文芸作品をアップしています。

地獄

「ぼくは君のことを忘れるべきなのだろうか。それとも、いつまでも友達だと思っている方が、君は喜んでくれるのだろうか」

 

  『1』

 去年の十月上旬に知人から連絡を受けて知った。同じ年の九月に、親友のYが自殺したことを。自宅で首をナイフで切り裂いて、大量出血で死んでしまったらしい。

 不思議と悲しくなかった。ただ胸の中が空っぽになっただけだった。(ああ、やっぱりな……)としか思えなかった。Yならやりかねない。いつだって、どこだって、「死にたい死にたい死にたい……」と呟くような人間なら自然な話なのだ。自殺を考えている人は普段から死への願望を語るものなのだ。

 実際、実の父親もそうだった。あの人も、「しにたいしにたいしにたい……」とよく言っていた。そして愛車の中でガス自殺を図った。高校の入学式の前日に。

 だから僕には耐性がついている。大切な人の喪失に対する。だから驚かない。泣きもしない。たかが親友の死ごときに涙を流す必要性がわからない。ただ虚しくなるだけだ。本当に虚しくなるだけだ。自殺なんて小説の題材にしたところで面白くも何ともない。

 

 ある日、Yの母からメールが届いた。(五年前、彼女から息子の素顔を、よく知りたいと言われたためにメルアドを交換したのだ。正直、結構異常な気がするが事実である。その辺の詳細を語りだすと原稿用紙三十枚は遥かにオーバーしてしまうので省略する。簡単に言えば奴の性格に難がありすぎたのが原因である)文面は次の通りだ。

「あの子のことで話があります。ぜひ土日のどちらかに、家に来て貰えませんかか」

 それを読んで僕は面倒くさいと思った。お前は本当に親友なのかと突っ込みたくなるかもしれないが、そう感じてしまったものは仕方ない。最低と言われるかもしれないが、たかが死人のために労力を使いたくないというのが本音だ。だから、こう返信した。

「すみません、もう、あなたたちとは関わり合いたくないんです。もう構わないで下さい。今後金輪際、いっさい、絶対に」

 自分でも言いすぎだと分かっていたが、正直あの女に対して、いい感情は持っていなかったのだ。自分が産んだ子に対して上手に接することが出来なかったために、僕を利用して息子を知ろうとする態度が気に食わなくて堪らなかったのだ。昔から、ずーっと。

 僕じゃなくてYに直接聞けばいいじゃん。あんたホントに実の親なのかよ……と思いながらもアイツが生きてるうちは我慢した。けれど何故、我慢していたのかが思い出せない。生きてるうちに言ってやれば何か違っていたかもしれないが、もうどうでもいい。

 どうせYが死んだ理由を何か知らないか? とでもウダウダと尋ねたいだけなんだろ!? お前に何が償える!?……本当は、そう言ってやれば良かったのかもしれないが、結局、伝える度胸がなかったのである。

 やがて女から返信が来た。

「ごめんなさい、本当にごめんなさい。私なんかが母親でごめんなさい。でも最後に受け取ってほしいものがあるんです。どうか、お願いします。あの子から貴方に手紙があるんです。どうか読んでやって下さい」

 メールを読み終えると、僕は心を痛めた。さすがに言いすぎてしまった。あの人がYを愛していたことを忘れていた……。月に一度ほど「最近Yと、どんなことを話したか、僕と一緒に遊んでいて楽しそうだったか」等を聞いてきたのも息子が大切だったからであり、書く事を(生前のYと、その母から)禁じられるほどの複雑な家庭環境のせいでもあるのも忘れていた。この場で言えるのは、それのせいでYは両親を異常なほど嫌っていたことだけだ。

 とにかく……ここまで言われてしまえば、やむを得ない。久しぶりに行くしかなかった。僕が高校三年生の頃の三学期以来、一度たりとも足を踏み入れていない、Yの家に。

 

 ピンポーン。

 ある土曜日の午後。小さなインターホンを押すと、白エプロンを身に付けた彼の母が迎えてくれた。ほのかに香水の香りがした。相変わらず美人だな……と一瞬だけ思ったが、その後すぐに気がついた。

「わざわざ、ごめんなさい……」

 今にも泣き出しそうだった。目が濡れていた。声も震えていた。彼女の美しく大きな瞳からは、すぐに涙が溢れそうだったのである。

 この雰囲気が無性に嫌だった。いっそ犯して狂わせたくなるほど嫌で堪らなかった。

「……すみません……ずっと借りっぱなしだったCDと本を返して、手紙を受け取ったら、さっさと帰らせてもらいます……」

「……そうですか……お茶、飲みますか?」

「……要りません……今日ここに来たのは、あいつの部屋に寄るためだけなんで……あなたと話してる暇はないんです……」

「……わかりました。息子の部屋は生前の頃のままにしてありますので……どうぞ、ゆっくりしていって下さい……」

 僕たちは玄関に上がった。すると彼女は僕の方を見向きもせずにポツリと言った。

「……わたしは寝ています……」

 そしてYの母は、一階の寝室に閉じこもってしまった。その日、彼女とは、これ位しか会話をしなかった。する気もなかったため丁度よかったが、僕の背中は寂しさを感じ取った。はっきりとした虚しさに襲われた。

 僕は、リビングに飾られていた端正な顔立ちをした親友の遺影の前には寄らずに、二階へ上がっていき、彼の自室に入っていった。

 そこにはYにとっての理想の世界が凝縮されていた。芥や埃が一切なく、室内の整理整頓が完璧になされた、病院の病室と同じぐらいに綺麗な空間。布団やテーブルや座椅子や本棚等の家具類は全て白で統一されており、人によっては逆に居心地が悪くなってしまいそうなほど清潔である。ここで毎日寝ていたら、いつか発狂しそうな気がする。

 それにしても懐かしかった。つい涙が零れてしまいそうなほど、なつかしい。

 しばらくの間、僕は白いスプリングベッドに座っていた。彼が傾倒していた鬼束ちひろのCDを勝手に流しながら感傷に浸っていた。

 やがて三時になったため、帰ることにした。特に用事があるわけでもないが、先に言ったとおり長居するつもりもなかったのだ。

 僕は自分の黒いバッグから、ずっと前に彼から貰い受けた、ブルーハーツのCDと三冊の本(サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』、ケッチャムの『隣の家の少女』、山田花子の『自殺直前日記』)を取り出すと、ぴかぴかで真っ白な学習机の上に置いた。これらはYが絶賛していた芸術品であり、僕にとっても大切な物だ。今になって返却するのも非常識だと自覚していたが、何故だか返したくなる衝動に駆られてしまったのである。

(……ふう)やるべきことをやり終えた僕は心の中で息をついて、小さな喜びを体中で味わうと、机の側から離れようとした。

 すると気がついた。僅かに数センチ程、鍵穴のついた引き出しが開いているのを。

 それを見つけてしまったせいで、つい魔が差してしまった。僕は迷わず取っ手を引いた。

 そこには長形の茶封筒が一通だけあった。手に持って観察してみると、表裏には何も書かれていないが、どこか異様な重さがある。

 その時の僕には良心やら常識やらが欠如していた。ただ奇妙な興奮に身を任せ、何の躊躇いもなく封筒を開けた。 

そして思わず呼吸が止まってしまった。

 中には一枚の白い便箋、僕宛の手紙があったのである。

 僕は胸の中が真っ白になりながらも、本文を読みはじめた――。

 

  『2』

 

  始まりの場所は

  壁と床が真っ白で

  ドアがどこにもない

  小さな部屋 

  逃げ場のない聖なる牢獄

 

  そこで僕は辺りを見回している

  からっぽなのに がらんどうなのに

  何かを一生懸命探している

  祈りを捧げるように

 

  声がした 

 

  「僕は永遠の静寂を手に入れる」

 

  僕は視線を床に向ける

  僕の真下に一枚の写真が落ちていた

  写っていたのは一匹の子すずめ

  アスファルトの上で眠りながら

  首と体が引き裂かれている子すずめ

  黒ずんだ血が 部屋中を

  真っ赤に染め上げた

 

  声がした

 

 「澄み切った空の青と、僕の手首から流れる赤に違いがあると思う? 本当に本当に?」

 

  僕は視線を天井に向ける

  まるで世界の空白を満たすかのように

  血走った眼球が綺麗に埋め尽くしている

  彼等は虚無に目を向けているのか?

  天使の翼を幻視しているのだろうか?

  僕は悲しくて涙が止まらなかった

 

  零れ落ちた一滴の雫は 

  都市の形を模した地獄となって

  やがて一本のダガーナイフは 

  すべての神の神様を切り裂くのだろう

 

  声がした

 

 「父さんも母さんも仏陀様もキリストも、本当はいない。全部まやかし」

 

 「虚妄だ虚妄だ虚妄だみんな虚妄だ虚妄だ虚妄だ虚妄だ虚妄だ虚妄だ虚妄だ虚妄だ虚妄だ虚妄だ虚妄だ虚妄だ」

 

  どこかの都市の交差点で

  くすんだ黒を被った人の群れが

  軍隊のように行進している

  野ウサギやチーターに走る隙間がない

  けれど足音は聞こえてこない

  虚しさに覆われた巨大な街

 

  声がした

 

 「懐かしい記憶 精神病院

  本当の家 本当の友達

  自転車 橋の下 歩けない

  どこにカーブしても辿り着けない

  どこにも巨大で醜悪な建物があって

  どこでもそいつらが邪魔をする

  工場地獄、工場、工場、工場

  クッションのようなゴミ袋に詰め込まれた

  等身大の人形の喜怒哀楽の表情 

  永遠の謎」

 

  僕は歩いている

  柔らかくて臭くて臭い道の上を

  浮き出る血管 夜の街の心臓

  究極の腐敗 穢れた香り 

  顔が蒼くなってしまうような穴

  心臓が心臓が 溶けてなくなってしまう

 

  声がした

 

 「顔が隠せないから助けて」

 

  気がついた

  湖に浮かぶ小舟の上で

  お母さんが生きているのに死んでいるのを

  花を破った 人を殺した 

  少女の首を絞めて殺した

 

  声がした

 

 「裏切られた理由が今でも分からない」

 

  深夜の子供

  窓をノックする 廊下から星と月を眺める

  未知の街灯を求めて彷徨い続ける

 

  声がした

 

 「どんな橋を渡っても

  結局は同じところにしか

  たどり着けないことを

  知らなかった方が

  しあわせだった」

 

  耳 神 膣 神

  手 神 足 神

  頭 神 皮膚 神

  臓器 神 爪 神

  聖母の言葉 聖なる夜 転落する肉体

 

  声がした

 

 「家族は地獄 家は地獄 公園も地獄

  夢の中でも地獄 

  墓場は天国 宵闇の土は天国」

 

  私の愛する林檎が消えた 物語が失われた

自殺者の冒険

 0

 

 「この怪奇なる文章データについて」

 

 これは今から一年前に自殺した、とある少年によって創られた物語。

 私は、この陰鬱で摩訶不思議な物語の作者とは、全く無縁の他人だ。たまたま彼の自殺する現場を最初に目撃して、彼が最期まで大切そうに抱えていた大学ノートを奪い取って、私だけが知っている物語にしてみた。

 それから二年経って、ちょっとした事情のせいで、この作品を捨てないといけなくなった。勿体無いので、マイPCに保存しておいたのである。

 本文は1からスタートする。ちなみに所々、私の独断で編集している箇所もあるので、作者本人の意図と違うところもあるかもしれない。

 

 1

 

 絞め殺しましょう、あなたのために。呟きましょう、偉大なる破壊のために。僕は聖なる父母を、消失させます。

 彼等は「失敗作」だから、マフラーと首を同時に斬り裂いてみましょう。エオニア。

 

 マ ちゃん 嘘、ホントは、昨日 ちゃ が 作ってくれた林檎とシチューが恋しくて仕方ないの。

 

 2

 

 そいつは翼を羽ばたかせ、狂い飛び、空に、真っ白を、ぶちまけた。少年・ヒジリは「現実の物語」を嫌う。彼の居場所はテレビゲームの中にしかない。何故なら、彼は現実世界にとってスクラップだから。今日もヒジリはヴァーチャル世界の中でダーツを投げる。投擲物は巨大な教会のてっぺんに立つ白い十字架に当たる。始めてから三分も経たず、ゲームクリア。自分の人生も、これくらい簡単に終わればいいのに。別に死にたくはないけど、生きたくもない。天国にも地獄にも興味がない。ゲームが面白いからプレイするわけではなかった。ただ、ディスプレイの嘆き泣き声が性的な意味で可愛いのだ。それを聞くだけで勃起してしまうぐらい、白百合のようなオジョーサマの存在を、肌が感じてしまうのだ。そのヴォイスはヒジリの好みだ。ぶちぶちと髪を引っこ抜きたくなるぐらい、だ。そして今日もディスプレイは語りかけてくる。

「ミルクちょうだい、ミルクちょうだい、ミルクちょうだい……」

 美少女系のディスプレイはリピートする。ヒジリは甘い白に飢えている、赤い髪の少女が好き好き大好きで仕方ない。時々、自分に向かって渦潮を恵んでほしい。だからやっぱり注射は必要 

 

 3

 

 邪魔者は消した、そのため。ヒジリは、ちなみに、僕のこと。前の文は僕の、短編小説。僕たち魔法を食べて、死なないで生き返りました。クラクラはしません、グニャグナもしません、赤い包丁で手帳とかカレンダーとか、さっき裂いた。どーして? レベルを上げてゴッドさまになりたいから。ホントはハンマーとかスパナがよかったけど、だめでした。愛していたから、愛していませんでしたから。誰裂いたのかしら、僕だれ裂いたのマママママ?お星様の真実はほしいです。だって僕失敗作だから。ゲームの中でしか、ダメだから。死にたいから死のうとして生きようとして、ふらふら頭をふらふら。ぶにゃぶにゃぶにゃ。手指一本、足指を胃袋の中。ぶくぶくうがい。ペッペッ唾吐いて爪剥がしました。バイオレッドシャワー。斧と居間と家と一緒に、ダンス。注射も欠かさない。やっぱり腕に ぷつ しました。

 

 4

 

 ところで僕って悲しい? 別に自分じゃそう思ってないよ、マ ちゃん。だって僕、生まれて最初から僕しかいないんだもん。人の子は僕だけだし、どこにも神様いないんだもん。体ふるえちゃうから 腕に ぷつ 

 

 5

 

 目が覚めると、僕は暗い森の中にいました。右手には、今書いてるこのノート。左手には、赤い斧。どこが赤いかは説明できない。嘘です。ホントは指先が真っ赤なんです。五本の指先が小さな斧なんです。

 僕は進みました、森の筒の中を、虹色でした。突然ぐぐぐぐぐぐっと引き寄せられた先に、元の場所に戻ってしまいました。

 

 青い鳥さんがいました。

 

 6

 

 ばばばばばーど ばばばばばーど ばばばばばーど

 冷蔵庫の内臓からバターを吐き出させて たっぷり塗りました。あとはちみつも塗ってデザートになったバード。

 

でも まずかった

 

 腹の立った僕は 青い羽根をむしって ま ちゃんにあげました ま ちゃんは いつもの写真の中で 微笑んでいます

 

 7

 

 がががが がががが うるさい 工事 夜じゃないのに ページが進んで6時間経った。死の羽根を指で遊んでたら雨が降ってきた。

 だから いいこと思いついた。

 父母を空に塗りました、塗り絵のように。赤と青がきれいにまざって、幸せになれました。

 

 「アッ」という すぐ壊れそうな声も聞こえてきたけど なんだろ

 

 8

 

 うおんうおんうおんぴーぽーぴーぽー

 もしかして 白黒処刑人?

 ごめんね、しばらく地下室に逃げます

 

 9

 

 暗いくらい場所では 白紙も文字もよく見えない

 でも落ち着けます。

 ページを長くかけます。今から行間は空けません読めません。右手指が一本なくしちゃったから、やりにくいけど。

 

 (注・残念なことに9ページ目の、ここから下に羅列している無数の文字は、私は宇宙文字についての知識に乏しいので、まったく解読不能であった)

 

 10

 

 やっと出られて嬉しいな。でも僕どうして神社にいるの? どうでもいいけど、天狗が目の前にいたので書いておきます。

 「生首は大好きかい」ときかれたので、うんと答えると、白髪のをくれました。

 その白髪を一本抜いて地面に撒いてみると、桜の木が一本生えてきました。

 木の幹に触れてみたら、わっか土星が落ちてきました。

 

 それから先のことは覚えてません。

 

 11

 

 いつのまにか、病院のベッドの上で寝ていました。隣のベッドにも人が寝ていました。

 はじめて僕は人間を見つけられて嬉しかった。

 その子は ちょっと ま ちゃんに似ていて可愛かった。きれいな赤い髪と青い目が印象的。

 でも話しかけてみても 話してくれません。言葉が通じないのでしょうか、宇宙人なのでしょうか。

 

 僕は 窓から飛び降りて 薔薇を探しに行くことにしました。

 

 12

 

 すり きず ほね どぼ

詩「切り裂きジャックの証」

切り裂きジャックの証が欲しかった頃
俺は赤い血の中に花束を見た
一粒の砂の中に吐き気を覚えた
天井の蜘蛛に悪意をぶつけた
見えないナイフで愛する人を切り裂いた

切り裂きジャックの証を手に入れた時
夕焼けが俺の目を抉った
一杯の水が女神を殺した
兵士たちは狂える羊の腹の中にいた
世界のどこかで死者が産声を上げた

切り裂きジャックの証を失った間
瞳の奥にある言葉を失った
悪鬼は銃を撃ちまくった
聖者は仮面を外し、豚の顔を晒した
俺は暗黒の中にゆりかごを見た

切り裂きジャックの証を取り戻した夢の中で
俺は太陽を切り裂き、月を目覚めさせた
死者と生者に差がないことを知った
移りゆく季節の中で大地のために祈った
一面の黒の笑顔は何よりも優しかった

だから

切り裂きジャックである必要はなくなっていた




切り裂きジャックの証を空に返した日
夢は必ず叶うと知った
命は誰かのためにあると分かった
愛は俺だけの空を見せてくれた
魂のなかで本当の笑顔が待っていてくれていた

しあわせの国

 君はぼくらの姿を見つけたのか? ははは。びっくりしただろう。ぼくらは君と目を合わせることができてすごくうれしいよ。今日は一段と爽やかな青空だね。ほら、空に花も咲いている。君はぼくらの声が聞こえるようだから、ぼくらのことを教えてあげよう。

 ぼくらは神のみなしご。悪魔の祈りと天使の嘆きと共に生まれてきた。崇高なる愛はぼくらを包みこみ、青空には、一輪の白い花が咲いている。ぼくらの内側に住んでいる悪魔はいつも、天使よりも優しく笑うんだ。

 ん? 目が点になっているね。そうか、君は人間なのか。ならもっと分かりやすい言葉で教えてあげないと。ぼくらのことを。

 ぼくらは「しあわせの国」の住人。ぼくらは知らないだれかの、幸せを望む意志の集合体。いつもは人間の形をしながら、人間の世界で日々を過ごしている。でもそれはぼくらにとって仮の姿。本当の姿は大いなるマザーのみが知っている。マザーはすべての器に聖なる水を注ぐ存在であり、神と同一であり、知るものではなく、感じるものさ。もしかすると君はマザーに選ばれた者かもしれない。

 ぼくらは夢を見るから、「しあわせの国」で毎日祈る。太陽と月といっしょに。月にうさぎは住んでいないけど、泥まみれの人間には言葉にできない美しさがあった。ぼくらは光の意志の集まりだからこそ、彼等のために祈る。見知らぬ誰かへの祈りこそ本当の愛のはず。君は誰かのために祈ったことはあるかな?

「しあわせの国」には、ぼくらだけが住んでいるんじゃない。羽の抜け落ちた赤い天使や、虚ろな目をした青い悪魔、マザーのヴォイスが聞こえる人間の女の子も暮らしている。君にとっては天使が赤くて悪魔が青いことが引っかかるかもしれない。彼等には天使や悪魔の世界は窮屈すぎたから、こっちで暮らしているんだ。たしかにあそこは、つまらないと思う。何というか広いのに、狭いんだ。まあ、君には関係のない話さ。彼等の体の色が変なだけで、彼等を穢れた魂だと決めつける世界に興味はあるかい?

 そして天使や悪魔はともかくとしても、人間の少女までもがぼくらと一緒と聞けば、驚きの声を上げるもしれない。彼女は天国に行くはずだったんだけど、何故かそれを拒んで地獄に行こうとしたから、困り果てた天使がぼくらの場所へ連れてきたんだ。

 彼女に会いたいって? それはできないんだ。彼女はかつてとても恐ろしい言葉を友達にかけられて以来、人間とは話すことができなくなってしまったんだ。ぼくらと話している彼女はいつも笑顔なのにね。

 ん? 「しあわせの国」がどこにあるかだって? 君はもう死んでいるんじゃないかって?   

 いや、君は例外中の例外さ。君はすべてに愛されているから、ぼくらと話すことができるんだ。君は愛されているんだ。大地から、空から、君のことを君よりも知っている誰かから。そして君は君だけの場所で生きているんだ。誰かの魂と一緒に。そしてぼくらは君のために、ここにいる。君を待っている場所はしあわせの国なんかよりも、ずっと綺麗なところなんだ。しあわせの国にはないものがたくさんあるんだ。君が世界に愛されているから誰かが場所を作ってくれるんだ。何が言いたいかというと、「しあわせの国」なんか無理に探さなくてもいいってことさ。

 それでも、せっかく会えたから教えてあげよう。そう、「しあわせの国」はね、人間の眼では分からないところにあるんだ。「しあわせの国」へ入国するためのパスポートなんかない。ただだれかの幸せを願う意志さえあれば、気づかぬうちに「しあわせの国」に住んでいるんだ。ぼくらは「しあわせの国」で幸せを味わうのではなく、だれかの幸せをひたすらに祈るだけの存在。そんなぼくらを頭上に輪を浮かべた白い天使達は、時々こんな風に嘲笑う。

「お前達は愚かだ、何故このようなところで、馬鹿げた祈りを捧げるのだ。貴様等は知らんのか? 祈りは何者にも届かないのだ。まして人間ごときに祈りなどは不要だ。そうだ、今だって人間は我らの住処を穢している。犬猫や猿ですら奴等と比べれば敬虔なものさ。欲に塗れた人間共の世話はもう嫌で仕方がない。天国へ行くためのパスポートをもらうために、必死で醜い手のひらを隠しながら生きる奴等が本当に望んでいるのは、自分だけの幸福。自分のためなら他の奴等がどんなに不幸になっても構わない。そんな奴等のために俺達は……」

 彼等は、ときどきぼくらの前に姿を現して、しあわせの国で羽を休めにくる。そして時々、ぼくらと人間の魂を嘲る。ぼくらは天使達の顔を見るたびに、時々こんな風に思うんだ。

 嗚呼、天使もまた祈るのだ。清廉なのだ。彼等もまた神のみなしごなのだ。本来なら彼等のような存在こそが誰かに愛されるべきだ。ぼくらは彼等に対しても祈りを捧げたい。いつか天使達の魂も誰かに祝福されるべきだ。ぼくらは、すべての魂が幸せであってほしい。永遠じゃなくても、刹那の間だけでも、誰であっても、本当はずっと笑顔でいてほしい。

 ぼくらの中に潜む黒い悪魔はそんな天使達に美酒を勧める。パンを食べたり、音楽を聴いたりしながら飲む美酒は格別だと。ぼくらの悪魔は人間や天使たちに、いつだって優しい。あとで君も彼を意識してごらん。彼等の見かけは怖いけど、実はすごく優しいんだ。

 悪魔はぼくらだけではなく、人間や天使の中にも潜んでいるんだ。人間や天使の命の重さに嫌気が差して、誰かの不幸を強く願う悪魔もいる。悪魔というより悪霊なのかもしれない。彼等は時に、宿主の中で黒い言葉を囁き、魂を黒く染めあげる。そして宿主もまた彼等のように、誰かの不幸のために、行動する。それは人間の世界では、よくあること。いつの時代だって子どもも大人も、下らないことで争い、誰かの宝物を奪い、誰かと殺し合う。

 そう、人間世界では珍しくもないことさ。

 時々ぼくらは人間の悪魔を見つける。いつも彼等は瞳に悪夢を宿している。歪んだ笑顔をつくりながら、誰かを見つめている。黒い血が体中に塗られている。神は死んでいると言いたそうに、口を動かしている。けれど、その嘆きの声は世界に届かない。人間はいつだって彼等の意志を怖がってしまうからだ。

 けれど、ぼくらには彼等の渇いた叫びが時々、はっきりときこえてくる。

「俺達は心の底から、誰かの不幸を求めているわけじゃあない! ただ寂しくて怖いだけなんだ! ただ、幸せが欲しくてたまらないだけなんだ。ただ誰かと魂を繋げたかっただけなんだ。俺達はただ生きている証が欲しいだけなんだ。命に貴賎があったとしても魂に貴賎があるというのか! もし世界が俺達を糾弾するならば、俺達は世界を刃で切り裂いてやるさ。神のみなしごが夜空の下で、誰かの魂を弄ぶようにな!」

 ぼくらには分かる。彼等もまた、マザーを求めているだけのありふれた魂にすぎないのだと。ただ暗闇に怯えているだけなのだ。彼等もぼくらのように誰かを想っているのだ。想いが届かなかったから、彼等は世界にとっての悪となっただけだ。彼等の命がどのような過去を持っているかは知らない。だけどぼくらは彼等の中に、一輪の白い花を視る。彼等からは音無き詩を思い浮かべる。ひたすらに命の泉を求め、心の中に花束を描くような、限りない慈愛に満ちた言葉たちを。そう、君の中にもある、それのことさ。   

 そしてぼくらは想う。どんな魂にだって祈りの詩は届くはずだと。天使も悪魔にも差なんかない。命の役割が違うからこそ、詩は必要なんだ。聖なる死者は歌う。幸せを探した人間の歌を。青い鳥が羽ばたいている場所はぼくらには分かっているけど、歌の中に出てくる人間は気づいていない。「しあわせの国」は、いつでも誰かの隣にあることを。一瞬のうちに現れて、一瞬のうちに消え去ることを。その一瞬のなかに、マザーのぬくもりがあることを。一粒の砂の中に花束があることを、ぼくらは信じている。どんな世界の大空にも、真っ白なバラが咲いていることを。どんなに狂った世界の中であっても、その世界で生きる誰かが、痩せこけた魂の限りない幸せを望んでいることを。

 そしてぼくらは、ぼくらを知っている君のために、ささやかな祈りの言葉を贈りたい。  

 ぼくらはいつでも幸せのために祈っている。「しあわせの国」はみんなのものだ。ぼくらの一日は誰かのためだけにある。君が笑顔でいてほしいからぼくらは祈る。すごくシンプルなことだ。君はぼくらの言葉を古臭いと笑うかもしれない。でもぼくらはサビついた言葉の中に、一筋の光があることを信じている。シンプルでもいい。レトロでもいい。ただ幸せであってほしいから、ぼくらはいつまでも祈るだけ。君はぼくらを楽天家、あるいは愚か者と罵りたくなるかもしれない。でもぼくらは信じている。言葉は世界そのものとなり、君の手の中に物語が広がることを。その物語が誰かの夜明けとなることを。朝の空に浮かぶ太陽の光に、幸せを感じることを。青空の下で誰かの笑顔が輝くことを。友達や恋人と笑い合う日々の中に、生命を感じることを。ありふれた世界のどこかで一瞬のうちに永遠を感じることを、ぼくらは奇跡と呼ぶんだ。

 ……おや、君にはもう、ぼくらの姿は見えなくなってしまうようだね。だから、ここでお別れだ。でも最後に一つだけ。もし君が世界を憎む日が来たのなら、どうか思い出してほしい。君の笑顔を見るたびに、ぼくらは幸せになれることを。

魔法のキノコ

 死んだはずのパパから手紙と小さな木箱が家に届いた。正直、パパに対してはそれほど愛情もなかったので、どうして死んだのかは知らない。でもパパのくせ字は凄く好きだったから、誰かがふざけて出した手紙じゃないのは分かった。

 手紙には二行しか書かれていなかった。「このキノコは魔法のキノコだよ、噛むよりはしゃぶったほうが美味しいよ」

 たしかに箱の中には1本の、マイタケのようなキノコが入っていた。一見何の変哲も無いキノコだけど、触ってみたら私の中が、もやもやしてくる。この感じが面白かったので、ママの目の前で箱からキノコを取り出して、無邪気に言ってみた。

「ねえ見て、パパからのプレゼントだって」

 するとママは血相を変えて、私の手からキノコを奪い、それをしゃぶりはじめた。目をトロンとさせながらジュウジュルジュジュジュジュルと気色悪い音をたてている。頬を桜色に染めつつ、恍惚の笑みを浮かべながら、いつになってもキノコを口内から出そうとしない。夜になって「ごはんまだ?」と尋ねても返事をせず、ひたすらキノコをしゃぶり続けている。お母さん曰く「懐かしくて、お父さんの香りがする」らしい。ママはキノコが家に届いて以来、涙を流しながら、よだれをダラダラこぼすばかりで、最期の最期まで、まともに話すことができなくなってしまった。

 まあ元々お母さんはいつも虚空にむかって「あなた……あなた……」と呼びかけていた人なので、特に不思議なことじゃない。キノコによって、おかしくなるのが早まっただけ。

 あのキノコは確かに魔法のキノコだ。魔法というよりは「甘い毒」? キノコが届くまで、それなりに平凡な生活を送っていたお母さんは、それを口にしただけで、一瞬にして真の狂人と化した。私はママを愛している平凡な六歳の少女だけど、ママが狂気に侵食されたことを悲劇に思えない。むしろ喜劇だ。自我が崩壊し、線路から外れても走り続ける列車のような人間は、見ていて楽しいから。

 そして妬ましかった。お父さんがあのキノコを何の意図で我が家に送りつけてきたのかも気になるけど、それよりお母さんの恍惚とした笑顔が、とにかく眩しくて仕方ない。

 だから私も魔法のキノコをしゃぶってみた。嗚呼、死にたくなるほど美味しい。口のなかにユートピアが形成され、その甘味が、私の世界を壊してゆく。そのあと私には記憶や身体に何の意味があるのか、分からなくなった。マイタケみたいな体になってもいい。エビ? エビ? が見える。不純に塗れた現実は一本のキノコによって丸裸にされたのだ。夢と現実には差がなくて、希望も絶望も幻だって近所のお友達が言っている。

 しゃぶり続けるうちに、死んだはずのパパが、みえてきた。あたしはまだ六歳だけど難しい言葉も使えるから、実はすごい天才なのかな? と尋ねてみたら、お父さんは私の頭の中へ入ってきた。すーって。

 そしたら今度は、すぐに口の中からパパが出てきた。パパの体はクマみたいに大きいのに、すごく簡単に、するりと出てきた。お父さんから危険な香りはしてこない。でもお父さんは今度、私の手からキノコをかき消して、また口の中に入りこんでくる。頭に入る分には痛くなんかないのに、口に入ると体全体――特に下腹部が滅茶苦茶痛い。

 体が熱くて痛くて苦しくて気持ち悪い。何かに舐められているような感じもする。死んだ方がましな気がした。キノコはナイフになって下腹部に向けて突き刺してくるから痛い。あーあーべちょべちょ、わたしが、臭いマイタケに侵食されている。ナイフはそれでもひたすらに突き刺す。いつまでもいつまでも。

 ナイフがナイフであるのは決して刺し飽きることがないから。どれくらい時が流れたのか分からない。でもナイフで抜き挿しされる度に、痛みが消えてゆく。むしろ甘く甘くなってゆき、最終的にはナイフなしでは生きてゆけなくなりそうな位。蕩けてくる、からだが。ナイフが一生懸命だから。

 やがて体のみならず脳内もトロトロしてきて、すごく気持ちがいい。私はおかしくなっても、きっと夢心地から覚めないだろう。母と私は、もう一歩も動けなくなるだろう。

 私は試されている。現世から。現実から。何が言いたいのかわからなくなっても、私は生きていたい。私は幸せでいたい。確かなのは、私とお母さんが幸せなこと。きっと焦土に包まれた世界でも、私達は幸せ。 

 キノコはナイフとなって教えてくれた。この幸せは、神様の贈り物。永遠不変の快楽は私に一切の悲しみを忘れさせてくれる。あの日、お父さんがナイフで手首を切って自殺した瞬間や、私のお母さんが本当のお母さんじゃないって分かった日も、今は良き思い出なんだ。私たちは女神に祝福されている。

 あなたは私の幸せに、何か文句あるの?

リンとトビー

  『1』

 青いウサギのリンは、雪の降る白い空を眺めながら、ふと思った。神様、カンナちゃんは、どこに行っちゃったの、と。
 カンナは、ちょっぴり不思議な女の子。心の中で念じるだけで、スプーンを曲げたり、ガラス製のコップを本物の白鳥に変えたりすることが、できるのだ。そんな彼女にリンは懐いている。理由は三つ。はじめて出会った時、道端に生えていた草を、大好物のニンジンに変えてプレゼントしてくれたから。あの子犬のような目が好きだから。雪の降る野原で一緒に遊ぶのが楽しくて仕方なかったから。
 リンは今日もまた、自分が住む森を抜け出して、小さな町へやってきた。この町にはカンナが通う中学校や、彼女の大好きなシュークリーム屋がある。僕が時々、あの子の愛する場所に行けば、きっと見つかるはず。そう信じて、いつも一生懸命さがすのだ。
 今から約一年前、カンナは育て親の伯父と共に行方不明になった。たった“一体の家族”を残して。リンは思う。あの二人が早く戻ってこないと、トビーは寂しさのあまり溶けていなくなっちゃうかもしれない……。
 だから、めげてはいけないのだ。トビーと自分のためにも、二つの心臓の奥を取り戻すためにも、とにかく諦めては駄目だ。僕は絶対に、あの暖かな思い出の日々を取り戻す。
 そう願う彼の青い体毛に白い雪が纏わりつく。人気の少ない寂れた町の中央にある時計台の二つの針が十二を指す。街道を二人の少年少女が歩いている。冬の風が寂れた建物の間を、すり抜ける。リンは、ポツリと呟いた。
「……どうして、いなくなっちゃったのかな。僕たちのことが嫌いになったのかな……」
 すると、それに応じるように、後方から柔らかなヴォイスが聴こえてきた。
「リンちゃん。きっと、それは違うさ」
 振り向くと、そこには大親友のトビーが、プカプカと浮かんでいた。彼は見かけだけならば平凡な雪だるまであり、人間の6歳ぐらいのサイズである。こいつが一風変わっているのは、カンナの魔力の篭った二つの黒っぽい石ころが、目として使われている点だ。そのおかげでトビーにも彼女と同じように神秘的な力が宿っているため超能力も操れるが、さすがにカンナと比べればレベルは低く、体を宙に浮かべたり、人間のように会話したり料理したりするぐらいしか、できない。だがトビー自身は、それくらいで充分だと思っている。   
 大体の雪だるまは、人間や動物と仲良く遊べれば、魂の底が満たされていくイキモノ。それが彼の思想。超能力では彼等を驚かせることができても、心の助けにはならない。それが彼の信念。
 そんなトビーのことを、リンは、ひたすら尊敬している。カンナと同じぐらい好き。僕にとっての永遠の友達の一人。彼は単なる雪だるまじゃなく、神様に愛された雪だるまだ。
「おはようトビー。やっぱり今日もカンナちゃんを探しに来たの?」
「ああ、それも兼ねての散歩さ。先週から僕好みの雪が降ってくれて実にありがたいよ」
「じゃあ、嫌いなタイプのもあるんだ?」
「ああ。雨混じりの雪は最悪だね」
 それから、しばらくの間、彼等はこのような感じで、おどけ話を続けた。やがて、いつの間にか話題がカンナのことに変わった。
「ところで今日は、あそこ、行った?」
「あそこって、どこだい?」
「ほら、昔カンナちゃんが住んでた家だよ」
「見てみたけど、いなかったよ」
「そっか……やっぱり、そうだよね」
 リンは、しょんぼりして、耳をペタンと折り曲げて、顔をうつむけた。
 トビーは慰めるように言った。
「会えると信じていれば会えるものさ」
 かつてカンナは、この町にある小さなレンガの家で母親と共に暮らしていた。だが、ある悲しい事件が起こって以来、二人は永遠の別れを迎えてしまう。そして養育者が伯父のルドルフに変わり、隣町へと引っ越してから、リン達とは、あまり会えなくなった。彼女曰く、「おじさんの仕事の手伝いが忙しくて、一緒にいられなくて、本当にごめんね」
 リンは目を閉じて回想する……かつては、あんなにいっぱい遊べたのに。みんなで雪合戦したり、スキーしたり、紙ヒコーキを飛ばしたり……あの頃は一番楽しかった……。リン自身、こんな風に過去に浸ったところで無意味なのは分かっている。だが、それでも、逃れられそうにない。ある種の呪縛から。甘く透明な鎖の支配から……ぼくは果たして、このままでいいのかな……。
「ねえリンちゃん」彼の表情を察したトビーは、「もしカンナが見つからなくても、僕はずっと君の友達さ。だから、あんまり悲しいことばっか考えてても辛いだけだからさ、ばかになろうよ」 リンは「ばか」という部分に疑問を抱き、首を傾げた。
「どうして?」
トビーは優しく言った。
「僕は君と一緒に遊んでる時の、ばかみたいな笑顔が好きだからさ。とにかくウサギライフを楽しもうよ。そうした方が、きっとカンナのためにもなる。 そう、いつかカンナと再会した時のためさ」
 それを聞いて心が安らかになったのか、リンは耳を、ぴょこんと上げて、こくんと、頷いた。
「ありがとう。僕の友達でいてくれて」
 
  『2』
 
 空に橙色の満月が浮かび上がり、リンが森の中へ帰ったあと、トビーはカンナたちと共に住む家の庭で思考にふける。他の誰にも“絶対に読み解かせるつもりのない思考”を。
 
  『3』
 
 ぼくは嘘つきだぼくは嘘つきだぼくは嘘つきだ本当は誰かに殺されるべきだカンナやルドルフよりも無惨に死ぬべきだぼくの力は所詮子供だましのまやかしでしかなく誰かを助けることなんて出来やしないぼくの体はどれだけ熱い太陽の下であろうとも溶けないけれどナイフでコナゴナになりたいそしてあの家の地下室で三人一緒に眠りたいみんな地獄で胎児となって血の池に溺れて頭の中を殺したいけどそれはそもそもカンナも考えていたことだ唯一の心の拠り所はぼくとリンだけ君は本当のところ殺していないよメッタ刺し殺したのは夜空だルドルフは夜の闇に抹殺されるのが運命だった沈黙の死者が呼んでいない現実なんてない世界に人間なんていないいるのは動物だけ無垢の信頼を汚し首輪と手錠をかけて……る映像を殺したい撮影された悲劇的喜劇がぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくカンナの泡と首と服の下を守るには必要な行為だったルドルフにとってもぼくにとっても儀式だった本当は死ぬべきだ破壊されるべきだ夜に夜に夜の牙にぐちゃあぐちゃあぐちゃあルドルフのようにカンナの純白と真紅の液体を濃褐色の液に流し込んだ精神を粉々に分解して皇帝への憎悪をナイフでナイフでぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶん……カンナの行為は正当だ当然本物の悪はルドルフに決まっているけど僕は何も見ていないはず

 幸いなのはリンが真実に気づいてないこと

 ぼくは穢れた雪だるまだけどあの子の希望を奪いたくないぼくは絶対に守るぼくは沈黙の嘘を吐き続ける溶けるまでそしてリンだけでなくカンナのためにもぼくは遺書を書けない書かない絶対にこの秘密は守るぼくは言葉の力を信じているし信じていない何故なら無力だからどんなにぼくとカンナとルドルフの心を的確に表現しようとしても無理だからぼくの物語なんて本当に単調で誰が読んでもつまらないけれど読んでいて本気で自殺を考えてしまうような代物ではないあの二人の物語は怨霊のためのものだ戦争で散った者の嬲られて殺された者の幸福を知らずに死んだ者のためのそんな本をリンに読ませるわけにはいかないリンにはドラッグがもたらす幻想か幻覚がちょうどいいつまりぼくは絶対に真実を解読不能にさせる義務がある何故ならそれを何かの間違いで見てしまったただけできっとリンがリンでなくなってしまう!ぼくがあの瞬間を見るまでただの雪だるまであれたことは本当に幸せだったから読ませないように工夫をするリンのために童話を読む童話を作るでも空想なんて妄想なんてしないそれがあるからルドルフは人間なのに人間じゃなくなってしまったぼくはあの瞬間を見て以来生まれてこなければよかったと毎晩毎晩夜空は発狂したくなるくらい綺麗なのに美しい物語がぼくには書けない構築できない読めるけど読めないだからぼくは思考するしかない思考の中に生きるのは本当に楽で心地いいからぼくに読者は必要ない何故ならただ世界の灰となることを望むことしかできない雪だるまに生きる価値なんてあるとは思えないから

 でも明日もぼくはまた リンと遊ぶだろう

 嗚呼! リン! 何も、何も知らないでいてくれ! 深淵の中の真実なんて拾ったところでしあわせになんかなれるわけがない! ただ日々の中で笑い合うだけでいい難しいことなんて考えなくていいんだリンぼくは本当に君のその穢れなき魂に惹きつけられている! そしてぼくはかつてのカンナに対してもそう感じていた! カンナは本当に美しかったからルドルフはぼくと同じように誰にも読み聞かせるつもりのない物語を創ったんだルドルフあなたの創ったお話は本当に壮絶だったあの中に出てくるカンナの絵を見たぼくが崩壊したのはあなたの人生もまた今のぼくと同じように狂壊していたからでしょう!?ぼくはあなたの物語のせいで本当に自分が吐き出したい言葉を見失ってしまったけどそれでもぼくは生きるしかないのだ!何故ならこんなぼくの言葉でもリンは喜んでくれるからぼくがいなくなったらリンはリンはリンは?

エッセイ「桜」

 この文は創作課題で提出したエッセイ。別に自己評価が高いわけではないが、担当講師の講評が面白くて大爆笑していたのを今でも覚えている。
「えー、普通の人間は『桜』という題を出されたら百科事典か何かで桜を調べて本文に取り掛かるものですwwwwww」
「全体的に表現がいちいちオーバーで、悪の大魔王みたいな文章を書きますwwwwwwww」
「君は宗教に興味があるでしょうwwwwwえー、これからも宗教臭い文学に取り組んでくださいwwwwww」

 

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 桜花の散りざまの如く、すべての生命が最期を迎えられたら、きっと世界は妖美なる桃の色に包まれるであろう。
 全ての生命には等しく滅びは訪れる、その普遍の真理を人間は悟れない、だから死を恐れる。実に凡庸な話だ。
 何故人は、他の生物と比較して優秀な脳味噌を持つにも拘らず、現実に縋ろうとするのだ? 私には彼等が滅びを恐れる意味がまるで分からない。
 人にとって生とは美しいものなのか? 死を恐れる者は、恐らく桜の演出は嫌いだろう。
 何故桜に宿る魂は、直ぐに滅びが来ると知りつつも生の中で、咲き誇ろうとするのか。桜自身に問いかけても、理由は分からないかもしれぬ。けれど桜は自らの役割を悟っているのだ。ただ桜花を散らせ自分は生きていると主張するだけでも彼等は満足なのだ。
 人と桜に魂はあるか。現世に縛られる身分では知る由もないが、両者にそれがあってもおかしくない。人も桜も種がなければ生まれてこない、性質は違っても生きもするし死ぬ。
 つまり人と桜を比較して決定的に違う点といえば、生死と魂についての悟性の有無なのである。
 前述の通り桜は、桜としての役割を自覚している。ところが人間は鋭い知性と、種の繁栄を限度なく望む性質のせいで自分自身の首を絞める様相を心に描いてしまうのだ。桜に知性はないが、けして愚かなことはしない。
 桜の花言葉に「精神美」と「淡白」がある。実の所、人間の魂が最終的に目指している地点ではないだろうか。桜が理由もなく美しく咲き誇る様は花言葉の通り「精神美」を感じさせる。桜が桜自身の生死を恐れずに咲こうとする様も花言葉のとおり「淡白」である。
 人間が何かに恐れ、道を進めなくなった時は、私が解釈する桜の有り様を思い返せば少しは楽になるであろうか。