TH.Another Room

学生時代に書いた文芸作品をアップしています。

魔法のキノコ

 死んだはずのパパから手紙と小さな木箱が家に届いた。正直、パパに対してはそれほど愛情もなかったので、どうして死んだのかは知らない。でもパパのくせ字は凄く好きだったから、誰かがふざけて出した手紙じゃないのは分かった。

 手紙には二行しか書かれていなかった。「このキノコは魔法のキノコだよ、噛むよりはしゃぶったほうが美味しいよ」

 たしかに箱の中には1本の、マイタケのようなキノコが入っていた。一見何の変哲も無いキノコだけど、触ってみたら私の中が、もやもやしてくる。この感じが面白かったので、ママの目の前で箱からキノコを取り出して、無邪気に言ってみた。

「ねえ見て、パパからのプレゼントだって」

 するとママは血相を変えて、私の手からキノコを奪い、それをしゃぶりはじめた。目をトロンとさせながらジュウジュルジュジュジュジュルと気色悪い音をたてている。頬を桜色に染めつつ、恍惚の笑みを浮かべながら、いつになってもキノコを口内から出そうとしない。夜になって「ごはんまだ?」と尋ねても返事をせず、ひたすらキノコをしゃぶり続けている。お母さん曰く「懐かしくて、お父さんの香りがする」らしい。ママはキノコが家に届いて以来、涙を流しながら、よだれをダラダラこぼすばかりで、最期の最期まで、まともに話すことができなくなってしまった。

 まあ元々お母さんはいつも虚空にむかって「あなた……あなた……」と呼びかけていた人なので、特に不思議なことじゃない。キノコによって、おかしくなるのが早まっただけ。

 あのキノコは確かに魔法のキノコだ。魔法というよりは「甘い毒」? キノコが届くまで、それなりに平凡な生活を送っていたお母さんは、それを口にしただけで、一瞬にして真の狂人と化した。私はママを愛している平凡な六歳の少女だけど、ママが狂気に侵食されたことを悲劇に思えない。むしろ喜劇だ。自我が崩壊し、線路から外れても走り続ける列車のような人間は、見ていて楽しいから。

 そして妬ましかった。お父さんがあのキノコを何の意図で我が家に送りつけてきたのかも気になるけど、それよりお母さんの恍惚とした笑顔が、とにかく眩しくて仕方ない。

 だから私も魔法のキノコをしゃぶってみた。嗚呼、死にたくなるほど美味しい。口のなかにユートピアが形成され、その甘味が、私の世界を壊してゆく。そのあと私には記憶や身体に何の意味があるのか、分からなくなった。マイタケみたいな体になってもいい。エビ? エビ? が見える。不純に塗れた現実は一本のキノコによって丸裸にされたのだ。夢と現実には差がなくて、希望も絶望も幻だって近所のお友達が言っている。

 しゃぶり続けるうちに、死んだはずのパパが、みえてきた。あたしはまだ六歳だけど難しい言葉も使えるから、実はすごい天才なのかな? と尋ねてみたら、お父さんは私の頭の中へ入ってきた。すーって。

 そしたら今度は、すぐに口の中からパパが出てきた。パパの体はクマみたいに大きいのに、すごく簡単に、するりと出てきた。お父さんから危険な香りはしてこない。でもお父さんは今度、私の手からキノコをかき消して、また口の中に入りこんでくる。頭に入る分には痛くなんかないのに、口に入ると体全体――特に下腹部が滅茶苦茶痛い。

 体が熱くて痛くて苦しくて気持ち悪い。何かに舐められているような感じもする。死んだ方がましな気がした。キノコはナイフになって下腹部に向けて突き刺してくるから痛い。あーあーべちょべちょ、わたしが、臭いマイタケに侵食されている。ナイフはそれでもひたすらに突き刺す。いつまでもいつまでも。

 ナイフがナイフであるのは決して刺し飽きることがないから。どれくらい時が流れたのか分からない。でもナイフで抜き挿しされる度に、痛みが消えてゆく。むしろ甘く甘くなってゆき、最終的にはナイフなしでは生きてゆけなくなりそうな位。蕩けてくる、からだが。ナイフが一生懸命だから。

 やがて体のみならず脳内もトロトロしてきて、すごく気持ちがいい。私はおかしくなっても、きっと夢心地から覚めないだろう。母と私は、もう一歩も動けなくなるだろう。

 私は試されている。現世から。現実から。何が言いたいのかわからなくなっても、私は生きていたい。私は幸せでいたい。確かなのは、私とお母さんが幸せなこと。きっと焦土に包まれた世界でも、私達は幸せ。 

 キノコはナイフとなって教えてくれた。この幸せは、神様の贈り物。永遠不変の快楽は私に一切の悲しみを忘れさせてくれる。あの日、お父さんがナイフで手首を切って自殺した瞬間や、私のお母さんが本当のお母さんじゃないって分かった日も、今は良き思い出なんだ。私たちは女神に祝福されている。

 あなたは私の幸せに、何か文句あるの?