TH.Another Room

学生時代に書いた文芸作品をアップしています。

「夢とは何か」

 悪夢のようで、悪夢でない夢がある。羽を引き千切られる小鳥が痛みを覚えず、むしろ空を飛ぶために必要な過程であったと喜んでいるのを目撃する類の夢を見ることがある。瀕死の猫がコンビニの電子レンジに投げ込まれて温められて、生き返るという内容のものもあった。何者かの愛してやまない人が熊に殺され、それゆえに歩き出せるようになった少女の実在を確かめられた時は涙が出た。
 夢を売る店には、夢を売る店であるがゆえのグロテスクがある。たとえば女体を性的に堪能する夢を叶えるための場には、女の地獄が幽霊となって現れやすくなっている。
 市販の夢は多種多様で、自意識や紙幣を跡形もなく焼き尽くす夢を売る店までもある。だが、しかし悪夢のようで悪夢でない夢だけは、けして売り物にはならないのだ。
 悪夢のようで悪夢ではない夢など、夢を食べて生きる人々にとっては、どこまでいっても無価値なのだから。
 正夢だとは信じがたい正夢には需要がある。ギャンブラーと修行僧が、よく好む夢である。
 余談だが、正夢のようで全くの正夢ではない夢というのは、いまのところ、人々の就寝時にしか見つからないようだ。
 さて、読者の皆様にお尋ねしたいのだが、この原稿を書いている途中に筆者である私が観測した夢は、正夢であるのか悪夢であるのか、あるいは悪夢のようで悪夢ではない夢であるか分かるだろうか? 船が沈没し、私をはじめとした乗客全員が冷たい海の底に沈んでいくというシンプルな内容なのだが、これが正夢でしかないのであれば嘆かわしく、人に恐怖と不快を刻みつける悪夢でしかないのであれば単調そのもので、どちらにせよ、つまらない。
 だが、しかし、悪夢のようで悪夢ではない夢であれば、正夢のようで正夢でもない夢であれば、たいへん面白いとは思わないか? 船の正体が宗教団体であったり、シュークリームであったり、あるいは正体のない、なんの変哲もない景色の一つに過ぎない等と発覚したとすれば、笑えてこないか?
 現実は夢の複合体だが、悪夢だとか正夢だとか、そういう分かりやすい類の、神のお告げのようなものばかりが集まっているわけではないのだと、近頃、よく呆れている。
 

 このようなエッセイを書き上げる夢であれば、もう何度、見たことであろうか。