TH.Another Room

学生時代に書いた文芸作品をアップしています。

永遠の対話

 私「どこまでいっても人類滅亡が最善であることに変わりはないでしょうね。もっとも、我々が死後、永遠に無と化せるかどうかが問題だから、これも所詮は誤謬なのですが……が、ここを目指そうと試みるのも、また一興かと」
 R「人類滅亡がなぜ最善なのだろうか」
 私「それが仮に成り立ってくれるのであれば、悪自体を消滅させられることに、なるからね」
 R「なるほど、つまり善悪が本当に存在するとして、それを消すならば、生まれない方が良いみたいな感じなのかな」
 私「単純に強姦が快楽となる以上は、この世界から強姦が無くなることなど有りえやしない。我々が何をしても許されるわけでなくとも、それを現実にて実現することができてしまうのであれば、無理がある。正義の言葉によって、それを糾弾しようにも、言葉の通じない獣も存在している。この地球上において、たった一人であろうと心身を破壊(解離性障害などの重度の精神病に陥ってしまうほどの)させられるほどの暴力を受ける者が存在してしまうのであれば、この世界自体が在ることを肯定するわけには絶対にいかない。という感じだね」
 R「世界全体で見るとどうしても暴力が存在してしまうから、そうなると人類滅亡の方、世界の中での滅亡の方が手っ取り早い、みたいな感じになるのかな」
 私「そうなるね。私は理想が高すぎるので。元より普段の私は(TwitterのTLで無意識的な自意識を晒している時の私は)、私の生と私たちの生を、無闇矢鱈と肯定する意味など、全く無いと考えているので……ただし私は別に、この世界にて私たち人類が生きること自体を否定したいわけじゃない。我々が生きることを真に肯定しようとするのであれば、もはや私たち人類が二度と「悪自体」に直面しないように尽力せよ。「悪自体」を肯定しようとするな、この人間世界から「悪自体」を奪え。という話になってくる」
 R「つまり生きていく上で悪や苦しみは避けられないという事ね」
 私「そ、そ。そして、それの根源を神の試練などと現実逃避的には捉えずに、悪や苦しみが世界の一面であることを認めようとも、その悪や苦しみが二度と出現しないように、その悪や苦しみの根源にアクセスし、やがて、そこに眠る悪自体を討ち滅ぼせ、という話になる……そのための一つの案として、我ら人類は、二度と目覚めぬ滅びを迎えないか? という意味で「確実なる人類滅亡」を「最善」と言ってみたわけよ。その「確実なる人類滅亡」が嫌であるならば、だったら「悪自体」を奪おうとする方が「哲学」でしょう、という話にもなってくる」
 R「シュリーさんの中では悪=苦しみ全般だったりする?」
 私「ああ、ごめん。けして、そういうわけでもないんだよね。悪は、この社会にとって全力を以て排除しなければならない現象であって、苦しみは、そんなことはない。ただ生における苦しみは、減ずることが可能であれば、可能な限り減らしたほうが良いことに違いはない。苦しみさえ減らせれば、悪自体への対処法にもなると思われるからね。実際、性暴力(悪自体)に苦しむ中学生が、学校へ行かなくても済むようになれば、その後も性暴力を受け続けずに済んだ、という例から考えても、ね。どういうわけか、それでも、その子は学校に行かざるを得なかったらしい」
 R「俺は善も悪といった形而上学的な観念も物事に対して副次的に生じるものだと思っているから究極的な悪や善を捕まえるのは無理ではないけど難しいと感じる時はある」
 私「善は兎も角、悪はあるんだよね。あくまで私の中では。それが、あの「女子高生コンクリート殺人」の事件の内容となる。あれを「悪」と定義しない資格など、我ら人類に持ち合わせているのか? と考えているんだよね」