TH.Another Room

学生時代に書いた文芸作品をアップしています。

忘却について

 忘れて欲しくない、という気持ちが俺にはピンとこない。けして分からないわけではないのだが、そういうものにイマイチ共感できそうにない。正直、今までの自分の知り合いすべてが自分自身のことを忘れようとも、そうなれば大いに不便になるとは思うのだが、仮に不便でさえなければ、それで構わないと言い切ってもいい。忘れられると色々と不都合が生じるから、忘れて欲しくないとは思う、ということ。

 別に、自分自身の大事な人から自身に関する一切の記憶を喪失されることが嫌でないわけでもない。それなりの虚しさは覚えるし、おそらくは、それが発覚した日の就寝前には、ひっそりと涙を流すのだろう。だが、だからと言って忘れて欲しくない、という気持ちにまでは至れそうにないのだ――私の言っていることが分かるであろうか?

 かつて自分が恋愛感情を抱いてきた相手たちのことを思い出そうとしてみると、もう今では顔はおろか、彼女たちが私に対して言ってきたことや行ってきたことの多くを思い出せないでいる。思い出す気になれば思い出せるのだが、わざわざ、それを振り返るために私の時間をかけるつもりは全くない。もう、お前たちなど私にとって何ら無用な存在なのだ。けして私にとって何ら無意味な思い出ではないのは勿論だが、それは、あなた方との思い出に限った話などではなく、私はあなた達だけと生きてきたわけではないのだ。だから忘れるのであれば、とっとと忘れればいい。何か有効に利用できる思い出があるのであれば、しっかりと忘れないでおくべきだし、無用な思い出であれば、とっとと切り捨てればいい。今の今まで私は、ずっと、そうしてきたのだ。

 ただ二人、忘れていない存在は今もいるが、それは私が敢えて忘れてはならないと固く心に誓っているからこそ(……これは恋愛感情が未だに残っているとか残っていないとか、未練があるとかないとか、そういう低次元なレベルの話ではないのである。我が生涯の主題を提供した存在だからこそ、なのである……)記憶しているだけなのであり、正直その二人の言っていることや行ってきたことは私にとって未だに鮮烈でこそあるのだが、すでに顔は忘れている。どんな顔をしていたのかを今では、よく思い出せなくなっている。二人とも、忘れる気になって忘れられるようなものでもないのだが、不思議と放っておけば、すぐに忘れ去るようになるだけなのだ。あなた方は私にとって重大な存在であることに違いはないが、それでも私は、あなた方よりも私の生を優先させなければならない。

 ところで自分自身の過去を忘れられるということは、ある種の人間にとっては救済と成りうる。忘却が救済となる、深淵のメタファーというのも、この世には居る(たとえば解離症を患う少女たちは、かつて味わってきた数々の性暴力の被害を、完全に忘却さえできれば……)。

 過去は人間の力にもなりうるが、呪縛にもなりうる。

 このエッセイを書かせる切っ掛けとなった人間からしてみれば、今まで私が綴ってきた内容は「私の言っていることを本当に分かっているのですか?」と思わせるようなものでしかないだろう。だが、あなたであれば私が、あなたの気持ちを理解するために色々と書いているわけでもなければ、あなたのために細々と文章を書いているわけでないというのは容易に分かるはずだ。私はあなたの過去や心理を掘り下げるために、このエッセイを書いているのではなく、忘れるということ、それ自体に思うことを書き連ねているのだ。

 先述したとおり、私には人に自分自身のことを忘れて欲しくないという気持ちは、けして分からなくもない。しかし私に限っては、たとえば私は私の過去の恋愛相手たちに、いちいち私のことを思い出して欲しくない。できることならば、もう二度と私のことは思い出さないで欲しい。もし今も私のことを仮に忘れられておらず前に進めていないのであれば、早く私のことなんて、とっとと切り捨てて早く幸せになって欲しい。いつまでもグズグズとぬるま湯に浸かっておらず、新しい道を切り開いて欲しい、先述した解離症の少女たちと違って君らはごく普通に生きていけるはずなのだから、早く新しい恋愛なり恋愛以外の楽しい何かなりを見つけてほしい、たかが失恋ごときのために自分の中の世界を閉じ込めようとしないでほしい、という風に本気で思う。私のことを完全に忘却できることによって、それで全く問題ないのであれば、それでいい。かつて好きだった人が不幸の渦に溺れているようなところは、もう二度と見たくはない。そして、これは恋愛相手に限らず、私の友人や母親などに対しても同様のことは言える。

 この世には幸せになりたくても幸せになれない人間なんて、いるんだよ。忘れたくても忘れられない過去のせいで。人間の姿形を借りた蛇どもに犯され、世界の複合的な悪意に侵されたせいで、幽霊のようにしか生きられない人間だって、いるんだよ。俺が今まで受けてきた傷は、どうにか自分自身の意志と坂口安吾の力によって治せるような軽いものだったんだよ。でも、どうあがいても救われない人間も、どうしても再生できない人間というのも、いたんだよ――これが、今の俺の死にたさに根ざすもの。

 こんな私にも忘れたくない、という気持ちならば、それなりにある。でも放っておけば、すぐに忘れてしまう。自己陶酔などの精神的な工夫をしなければ。この見方からいけば「忘れられたくない気持ち」にも、いくらかの共感ができるようになる。だが、それでも「忘れたくない気持ち」と、「忘れられたくない気持ち」とでは、やはり内容は異なるのだ。たとえ、どれだけ深いところで繋がっていようとも。

 虚しいね。やっぱり何もかもが虚しくて仕方ないね。嗚呼、やっぱり、この手足の生えていて、食べて寝なければ生きていくことが困難になる、この身体が憎くて仕方ないね。そして性行為の際に快楽を得られる人体が穢らわしくて仕方ないね。我々の抱く、多くの希死念慮は結局のところ、この宿命に敗北した証に他ならないのかもしれない。

 生活の前では、我々は子羊でしかない。

 だいたいの他人が死んだところで、個人の生活には、さほどの影響がない。

 おおよそ私は替りのきく存在である。

 おおよその人間は道端に虫の死骸が落ちていたところで何の感想も持たない。

 かつて私が自動車を運転していた際に、道の真ん中で横たわる猫の死骸を目撃したことがあるのだけど、それが、どのような死骸であったのかを全く思い出せそうにない。あれを目にしたときは、ゲロを車内に大量にぶちまけたくなるくらいに気持ち悪くなったにも関わらず、私は猫の死骸の詳細を未だに記述できそうにない。