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TH.Another Room

学生時代に書いた文芸作品をアップしています。

殺戮のルナ・メイジ 1章

 声が聞こえたような気がする。けれど、それがどこから放たれたのか、どのような声かは分からない。テレパシーか空耳? なぜだか奇妙に心に引っかかり、少年はしばらくの間、動かしていた手を止めて、じっと耳と心を澄ませていた。

 だが工場長の掠れた怒鳴り声が、彼の体から遠く離れたところから、邪魔をする。「貴様、何をぼうっとしている! まだ今日の分は終わっていないぞ! さっさと働け!」
 少年は、「す、すみません」とあたふたと小さく返事をしながら作業に戻る。今が仕事中だと忘れていた。多分、疲れていたせいだろうと結論づけて、気をとりなおす。掌に神経を集中させる。ベルトコンベアを流れる、粘土のような柔らかさをした青く透き通った『蒼魔玉(そうまぎょく)』という玉を、右手で掴む。素早くかつ注意深く(……指跡をつけたり、へこんだ跡を残したりすれば、彼は工場長に叱り飛ばされてしまう……)。その球体を、ゴム手袋をはめた両手で包み込み、少年の左手についた十字型の白い紋章の軽い疼きを感じながら、さっと撫で回し、カゴつき台車の中に、柔らかな表面に傷がつかないように、そうっと入れる。カゴの半分を埋め尽くすそれらは、一見本物の水晶玉と見分けがつきそうにない。
 ……ズキリ、グラグラグラ、グニャグニャリ……。

 まただ。また強烈な偏頭痛と目眩がしてきた。この工場で働かされはじめてから、度々起こるようになった症状。昨日からの体調不良による食欲の低下により、配食のパンとスープに口をつけられなかったせいもあってか、いつもよりも具合が著しく悪い。

 当然、この状態では作業の効率が悪化するので、「癒しの呪文」を使うしかなくなる。少年は早速、いったん持ち場を離れ、手袋を外し、右手の五本指を左手の甲に乗せる。手の真ん中に貼り付いた“白魔紋(しろまもん)”に精神を集中させて、ぽっそりと唱える。

「ヒーリィ」

 ――紋章が煌めいた。一つの言葉が少年の中に聖なる光を注ぎ込み、身体に巣食った死霊を追い払ったかの如き爽快感を与えた。心地よい暖かさが全身を包んだ。茨の棘が刺さったような頭痛も、意識を壊しそうな目眩も、ひんやりとした風の中に掻き消えたのである。

 これならば職務に支障をきたさない。少年は自分の持ち場へ迅速に戻り、そしてまた黙々と単純作業を再開する。いつものように頭から雑念を捨て、立ちっぱなしのまま、手だけをひたすら動かすのだ。(……余計なことを思っちゃいけない。今、僕達は薄汚れた奴隷……僕には、ここで上司に命じられるがまま働くしか生きる道がない……そして僕は、とにかく生きなきゃいけない……)

 

 工場内の端で、ずらりと並ぶ錆びかけのドラム型マシンがグオオオオと轟音を立てている。産業用ロボットが、ドラムの下部についた四角い口から青の球体を取り出し、淡々とベルトコンベアに載せてゆく。白の作業帽と作業服をつけた人間が、それをせかせかと撫でている。どんよりとした空気が黴臭い作業場に流れている。少年は蒼魔玉が積み込まれた台車を、出荷口に運び終えたところだった。

 今日中に出荷する分が終わってから、どれくらい経っただろうか。午後三時の休みを過ぎてから、時間の確認を忘れていた。工場に一個しかない時計は壊れていた。普段は腕時計をつけているのだが、今日に限って家に置いてきてしまった。その上、ここには窓が一つもないため空の色を知ることもできない。今が十七時だとすれば、まずいのだ。出荷報告書の提出時刻を過ぎてしまう。工場長は少し期限に遅れただけで説教するタイプのため、急いで見つけ出さなければならない。工場内全体は、そこまで広くない。おまけに、このフロアで稼働する機械装置は、わずか三種類、蒼魔玉の原型を生むドラム型マシン、円形のベルトコンベア、それに繋がる地下行きの運搬用エレベーターしかないため、内部の見通しが良い上に、作業員数は約二十名しかいない。だから少し探せば、すぐにでも見つかるはずなのだ。
 少年はアクアブルーの目を素早く、きょろきょろ動かしながら、作業場を歩き回る。しかし二階には、いない模様。一階だろうか。内階段のぼろぼろの手摺を横目に、カンカンと音をたてながら降りた。(あの人が、いそうな所といえば)――検品室と休憩室と、事務室。まず確かめるのは階段から降り、すぐのところにある、高級な香水のような清らかな香りが漂う検品室。ここは蒼魔玉の原材料に傷がついていないかをチェックする場所。今も二名の作業員たちが、それを裸眼で検査している……が、ここ、には、いない。次は検品室の向かい側にある休憩室。朝会や昼食にも使われる部屋である。もし今が十六時四五分ぐらいならば工場長は間違いなく、パイプ椅子に座りながら配食のインスタントコーヒーを嗜んでいるはずだ。が、またしても見つからない。残る可能性は事務室になるのだが、あまり期待できそうにない。彼は普段、あそこで事務作業をしないのだ。普段、工場長が書類やパソコンと格闘しているところは二階にある小部屋なのだが、そこは壁や床にカビやホコリが溜まりに溜まっている上に、生ゴミのような汚臭が漂う不衛生極まった空間なのである。使用者曰く、「掃除をしようにも仕事が多すぎて手をつける暇もないし、下の者にやらせようにも現場が忙しすぎて、やらせる暇がない」らしいが、ならば普通に一階の事務室でやれば良いのでは、と思うのだが。ともあれ一応、確認しなくてはならない。本来ならば単に二階の部屋のデスクに置いてくれば済む話なのだが、こんな日に限って、なぜだか扉に鍵が掛かっていたから。提出書類をさっさと渡して、工場から早く脱け出したいのだから。少年は足早に、休憩室の隣にある部屋へ入室する。

 室内では五人の事務員がデスクトップ型パソコンの前でパイプ椅子に座りながらキーボードをカタカタと叩いている。事務室の中は清潔だが、冷たく、張り詰めた空気が漂っているために居心地が悪い。「すみません、工場長どこにいるか知りませんか? 出荷報告書を提出したいんですが」 

 そう尋ねると、頬に茶色いシミがぽつぽつと付いている二人の若い女性は、「あたしもさっきまで探してたんだけど、どこにもいなかったわね」「外にでも出かけたんじゃない?」 だが二人の中年男は、「いや工場の外回りには、いなかったぞ」「もしかすれば地下倉庫じゃないかい?」
 地下の倉庫? 聞いたならあるのだが、ここに配属されてから、そう長くは勤めていないので、場所が分からない。他の従業員の話では、倉庫には大量の蒼魔玉の不良品が収納されているらしいのだが。工場員たちは、どうすれば地下へ行けるのだろうか? この工場には蒼魔玉専用の小型エレベーターはあるのだが、おかしなことに、関係者専用のエレベーターやエスカレータはおろか地下に繋がる階段すらもないのである。
「あの、工場長って、普段どうやって地下倉庫に入るんですか?」
「いや、そいつは俺たちも不思議に思って、聞いたんだけど……あいつは何故か、貴様らに教えるわけにはいかない、の一点張りでよお。全くワケわかんなくて困るねえ」
 彼は子犬のように可愛らしい顔を歪ませた。(えぇ……打つ手がないなんて……)。額に右手を置きながら必死に解決法を考えていると、部屋の一番奥にあるデスクで作業をしている、キツネ目の若い男が、「俺なら分かるよ、行き方」と、掠れた声で言った。

「えっ! どうすればいいんですか!?」

 男は少年の方へ見向きもせずに、 
「MP(マジックポイント)は余ってる?」

 MPというのは、この世界で生きる大多数の人間であれば可視化できるパラメータ。この世界での一般常識として、これを把握したいと判断した場合、片目を閉じ、そのとき脳内に生じる、機械で加工されたような謎の女性の声による報告を受けて、残量を確認する。少年もまた、その過程を経て、術を使える回数を知ることができる。「あ、はい。ちょうど半分、残ってます」

 人々は何らかの術を用いる際にエネルギーを消費する。たとえば先に少年が唱えた「ヒーリィ」を使用するには3ポイントのエネルギーが必要となり、詠唱者のMPが3未満であれば発動しても無効となってしまう。「ただ、3ポイントしか無いですが……」

 男は頭を小刻みに左右に動かし、首の付け根まで伸ばした黒い髪を揺らしながら言う。「MPが1ポイントでもあれば充分……じゃあ今から案内するから、ついておいで」

 キツネ目の男に招かれるがまま、工場の出入口に向かう。(工場の外回りから、行けるのかな?)と思ったが、どうやら外れのようだ。「ここから、地下に進めるんだ」

 男は玄関の扉の前で、細長い人差し指を、鋼色の壁に指す。

「今、俺たちが目にしている、一見なんの変哲もない、これ。実は、魔術によって封印された、倉庫への入口が隠されているのさ」

 少年は口をポカンと開けた。そしてダボダボの白い作業服を着けた小柄な体を、のろのろと動かし、秘密の扉が隠されているらしき壁にで触れてみる。けれど左手が疼かない。蒼魔玉に触れたときの、あの奇妙な感覚が伝わってこない。

「本当……なんですか?」
「事実だよ。いつも工場長は、この『壁』から地下へ入ってる」

「ど、どうやって、ですか?」
「ここには魔防壁(まぼうへき)っていう非常に高性能な対魔術用のバリアが張られているために、どれだけ強大な魔力を注入しようとしても、糠に釘を打ったような効果しか得られない。この封印を解くには、君が普段作業している時と同じ方法――つまり、ただ蒼魔玉を撫でるだけでは駄目なんだ」

 すると長髪の男は、突如、彼のしなやかな両手を勢いよく掴み、手の甲へと視線を向けた。少年は驚きのあまり体を震わせ、その異様に鋭い眼を上目で見つめた。

「怖がらなくていい。さっきMPが余っているかと尋ねたのは、あの中へ入るための条件をクリアしてるか、確かめるためさ」
 男はズボンのポケットから黒い指サックを取り出し、自らの右手に填め、それを少年の左の手袋の甲に乗せ、両目をつむり、呟いた。「……アサーテイン……」
 ――疼いた。あの煙草の先端の火にかすったような痛みが生じた。ゴム手袋を外してみると白魔紋は、黒くチカチカと点滅していた。「ふむ。良い状態だな」

「あの……何をしたんですか?」

「いや、君が嘘を言っていないかどうか、ちょっと試してみただけだから、そんなに気にしないでくれ……」

「……? は、はぁ……」

「今、俺がしたことに違和感を覚えたのなら、あとで説明してやるから、とりあえず地下室の方を優先させよう」

 男は壁に手を触れて、目蓋を閉じる。

「……キャンセレーション……」

 ピィーーーーーーッ……。壊れたパソコンの起動音に似た音。

 少年は目を見張った。目の前に黒ずんだ斑点がまばらについた十字型の白い紋章が、うっすらと浮かび上がっていた。

「俺が唱えた呪文は、この『魔防壁』が仕掛けられてることを証明する紋章を出現させるためのものさ。それを表出させない限り、絶対に地下倉庫へは辿り着けない」

「僕は何をすればいいんですか?」

「君たち製造員が蒼魔玉をつくるときと同じ要領で、こいつに魔力を注入してほしい」
 水色髪の少年は、男の指示通りに、壁に浮かぶ十字紋を優しく撫で回してみた。
「で、しばらく待てば……ん?」
「あっ!」
「思ったよりも早く出てきたな」
 二人の視界から紋章が消えた代わりに、先程までなかったはずのものが、『地下倉庫』と記されたプレートの付いた白いドアが現れている。緑銅色の丸いドアノブから漂う錆臭さが、奇妙な現実味を醸し出している。

「これで万事解決ってわけだな。さ、早く書類を提出してきな」
 キツネ目の男は、そさくさと事務室へと戻っていった。少年は彼の後姿から得体の知れぬ不気味さを感じ取っていた。(あの人、なんで、そんなことを知ってるんだろ……)

 だが、あとで尋ねれば良いだけの話だ。この扉の向こうに工場長が居れば、ようやく仕事が終わるのだ。今日は体も心もクタクタだから早く帰って明日に備えたい。少年は重い瞼を擦りながら、古びたドアノブを、ガチャリと回した。

 

 男は彼が扉の中へ入ったのを確認すると、小型の通信機を胸ポケットから取り出した。

「……様……様……にございます……準備が整いました……現在あの者は向かっております……貴方の下へ……」