TH.Another Room

学生時代に書いた文芸作品をアップしています。

しあわせの国

 君はぼくらの姿を見つけたのか? ははは。びっくりしただろう。ぼくらは君と目を合わせることができてすごくうれしいよ。今日は一段と爽やかな青空だね。ほら、空に花も咲いている。君はぼくらの声が聞こえるようだから、ぼくらのことを教えてあげよう。

 ぼくらは神のみなしご。悪魔の祈りと天使の嘆きと共に生まれてきた。崇高なる愛はぼくらを包みこみ、青空には、一輪の白い花が咲いている。ぼくらの内側に住んでいる悪魔はいつも、天使よりも優しく笑うんだ。

 ん? 目が点になっているね。そうか、君は人間なのか。ならもっと分かりやすい言葉で教えてあげないと。ぼくらのことを。

 ぼくらは「しあわせの国」の住人。ぼくらは知らないだれかの、幸せを望む意志の集合体。いつもは人間の形をしながら、人間の世界で日々を過ごしている。でもそれはぼくらにとって仮の姿。本当の姿は大いなるマザーのみが知っている。マザーはすべての器に聖なる水を注ぐ存在であり、神と同一であり、知るものではなく、感じるものさ。もしかすると君はマザーに選ばれた者かもしれない。

 ぼくらは夢を見るから、「しあわせの国」で毎日祈る。太陽と月といっしょに。月にうさぎは住んでいないけど、泥まみれの人間には言葉にできない美しさがあった。ぼくらは光の意志の集まりだからこそ、彼等のために祈る。見知らぬ誰かへの祈りこそ本当の愛のはず。君は誰かのために祈ったことはあるかな?

「しあわせの国」には、ぼくらだけが住んでいるんじゃない。羽の抜け落ちた赤い天使や、虚ろな目をした青い悪魔、マザーのヴォイスが聞こえる人間の女の子も暮らしている。君にとっては天使が赤くて悪魔が青いことが引っかかるかもしれない。彼等には天使や悪魔の世界は窮屈すぎたから、こっちで暮らしているんだ。たしかにあそこは、つまらないと思う。何というか広いのに、狭いんだ。まあ、君には関係のない話さ。彼等の体の色が変なだけで、彼等を穢れた魂だと決めつける世界に興味はあるかい?

 そして天使や悪魔はともかくとしても、人間の少女までもがぼくらと一緒と聞けば、驚きの声を上げるもしれない。彼女は天国に行くはずだったんだけど、何故かそれを拒んで地獄に行こうとしたから、困り果てた天使がぼくらの場所へ連れてきたんだ。

 彼女に会いたいって? それはできないんだ。彼女はかつてとても恐ろしい言葉を友達にかけられて以来、人間とは話すことができなくなってしまったんだ。ぼくらと話している彼女はいつも笑顔なのにね。

 ん? 「しあわせの国」がどこにあるかだって? 君はもう死んでいるんじゃないかって?   

 いや、君は例外中の例外さ。君はすべてに愛されているから、ぼくらと話すことができるんだ。君は愛されているんだ。大地から、空から、君のことを君よりも知っている誰かから。そして君は君だけの場所で生きているんだ。誰かの魂と一緒に。そしてぼくらは君のために、ここにいる。君を待っている場所はしあわせの国なんかよりも、ずっと綺麗なところなんだ。しあわせの国にはないものがたくさんあるんだ。君が世界に愛されているから誰かが場所を作ってくれるんだ。何が言いたいかというと、「しあわせの国」なんか無理に探さなくてもいいってことさ。

 それでも、せっかく会えたから教えてあげよう。そう、「しあわせの国」はね、人間の眼では分からないところにあるんだ。「しあわせの国」へ入国するためのパスポートなんかない。ただだれかの幸せを願う意志さえあれば、気づかぬうちに「しあわせの国」に住んでいるんだ。ぼくらは「しあわせの国」で幸せを味わうのではなく、だれかの幸せをひたすらに祈るだけの存在。そんなぼくらを頭上に輪を浮かべた白い天使達は、時々こんな風に嘲笑う。

「お前達は愚かだ、何故このようなところで、馬鹿げた祈りを捧げるのだ。貴様等は知らんのか? 祈りは何者にも届かないのだ。まして人間ごときに祈りなどは不要だ。そうだ、今だって人間は我らの住処を穢している。犬猫や猿ですら奴等と比べれば敬虔なものさ。欲に塗れた人間共の世話はもう嫌で仕方がない。天国へ行くためのパスポートをもらうために、必死で醜い手のひらを隠しながら生きる奴等が本当に望んでいるのは、自分だけの幸福。自分のためなら他の奴等がどんなに不幸になっても構わない。そんな奴等のために俺達は……」

 彼等は、ときどきぼくらの前に姿を現して、しあわせの国で羽を休めにくる。そして時々、ぼくらと人間の魂を嘲る。ぼくらは天使達の顔を見るたびに、時々こんな風に思うんだ。

 嗚呼、天使もまた祈るのだ。清廉なのだ。彼等もまた神のみなしごなのだ。本来なら彼等のような存在こそが誰かに愛されるべきだ。ぼくらは彼等に対しても祈りを捧げたい。いつか天使達の魂も誰かに祝福されるべきだ。ぼくらは、すべての魂が幸せであってほしい。永遠じゃなくても、刹那の間だけでも、誰であっても、本当はずっと笑顔でいてほしい。

 ぼくらの中に潜む黒い悪魔はそんな天使達に美酒を勧める。パンを食べたり、音楽を聴いたりしながら飲む美酒は格別だと。ぼくらの悪魔は人間や天使たちに、いつだって優しい。あとで君も彼を意識してごらん。彼等の見かけは怖いけど、実はすごく優しいんだ。

 悪魔はぼくらだけではなく、人間や天使の中にも潜んでいるんだ。人間や天使の命の重さに嫌気が差して、誰かの不幸を強く願う悪魔もいる。悪魔というより悪霊なのかもしれない。彼等は時に、宿主の中で黒い言葉を囁き、魂を黒く染めあげる。そして宿主もまた彼等のように、誰かの不幸のために、行動する。それは人間の世界では、よくあること。いつの時代だって子どもも大人も、下らないことで争い、誰かの宝物を奪い、誰かと殺し合う。

 そう、人間世界では珍しくもないことさ。

 時々ぼくらは人間の悪魔を見つける。いつも彼等は瞳に悪夢を宿している。歪んだ笑顔をつくりながら、誰かを見つめている。黒い血が体中に塗られている。神は死んでいると言いたそうに、口を動かしている。けれど、その嘆きの声は世界に届かない。人間はいつだって彼等の意志を怖がってしまうからだ。

 けれど、ぼくらには彼等の渇いた叫びが時々、はっきりときこえてくる。

「俺達は心の底から、誰かの不幸を求めているわけじゃあない! ただ寂しくて怖いだけなんだ! ただ、幸せが欲しくてたまらないだけなんだ。ただ誰かと魂を繋げたかっただけなんだ。俺達はただ生きている証が欲しいだけなんだ。命に貴賎があったとしても魂に貴賎があるというのか! もし世界が俺達を糾弾するならば、俺達は世界を刃で切り裂いてやるさ。神のみなしごが夜空の下で、誰かの魂を弄ぶようにな!」

 ぼくらには分かる。彼等もまた、マザーを求めているだけのありふれた魂にすぎないのだと。ただ暗闇に怯えているだけなのだ。彼等もぼくらのように誰かを想っているのだ。想いが届かなかったから、彼等は世界にとっての悪となっただけだ。彼等の命がどのような過去を持っているかは知らない。だけどぼくらは彼等の中に、一輪の白い花を視る。彼等からは音無き詩を思い浮かべる。ひたすらに命の泉を求め、心の中に花束を描くような、限りない慈愛に満ちた言葉たちを。そう、君の中にもある、それのことさ。   

 そしてぼくらは想う。どんな魂にだって祈りの詩は届くはずだと。天使も悪魔にも差なんかない。命の役割が違うからこそ、詩は必要なんだ。聖なる死者は歌う。幸せを探した人間の歌を。青い鳥が羽ばたいている場所はぼくらには分かっているけど、歌の中に出てくる人間は気づいていない。「しあわせの国」は、いつでも誰かの隣にあることを。一瞬のうちに現れて、一瞬のうちに消え去ることを。その一瞬のなかに、マザーのぬくもりがあることを。一粒の砂の中に花束があることを、ぼくらは信じている。どんな世界の大空にも、真っ白なバラが咲いていることを。どんなに狂った世界の中であっても、その世界で生きる誰かが、痩せこけた魂の限りない幸せを望んでいることを。

 そしてぼくらは、ぼくらを知っている君のために、ささやかな祈りの言葉を贈りたい。  

 ぼくらはいつでも幸せのために祈っている。「しあわせの国」はみんなのものだ。ぼくらの一日は誰かのためだけにある。君が笑顔でいてほしいからぼくらは祈る。すごくシンプルなことだ。君はぼくらの言葉を古臭いと笑うかもしれない。でもぼくらはサビついた言葉の中に、一筋の光があることを信じている。シンプルでもいい。レトロでもいい。ただ幸せであってほしいから、ぼくらはいつまでも祈るだけ。君はぼくらを楽天家、あるいは愚か者と罵りたくなるかもしれない。でもぼくらは信じている。言葉は世界そのものとなり、君の手の中に物語が広がることを。その物語が誰かの夜明けとなることを。朝の空に浮かぶ太陽の光に、幸せを感じることを。青空の下で誰かの笑顔が輝くことを。友達や恋人と笑い合う日々の中に、生命を感じることを。ありふれた世界のどこかで一瞬のうちに永遠を感じることを、ぼくらは奇跡と呼ぶんだ。

 ……おや、君にはもう、ぼくらの姿は見えなくなってしまうようだね。だから、ここでお別れだ。でも最後に一つだけ。もし君が世界を憎む日が来たのなら、どうか思い出してほしい。君の笑顔を見るたびに、ぼくらは幸せになれることを。