TH.Another Room

学生時代に書いた文芸作品をアップしています。

四匹の手

 とある小さな島に四匹の「手」がいました。彼等は仲良し義兄弟です。長男のアカは赤く、次男のアオは青く、三男のキは黄色で、四男のミドリは緑色。みんな生きていることが楽しくて仕方ありません。
 彼等は、かつて人間たちの下で酷使されていた「手」でした。ある日、ちょっとしたわけがあって主である人間たちの体から切り離れたために、この島で暮らしているのです。
 ここで彼等は、毎日くっちゃべっています。今日もまた、いつものように下らない話に花を咲かせます。
「真っ青なカラスを愛しているかい?」アカがアオに尋ねます。「いや、それよりも真っ赤な肝臓のほうが好みだね」
「人間の肌の色は黄色なのかしら?」アオがキに尋ねます。
「そんなことは考えても無駄さ。大切なのは青空のナイフで世界を切り裂くことだけさ」
「心を構成する色の要素に緑はあるかい?」キがミドリに尋ねます。
「別にどうでもいい事を聞くね。重要なのは、その中を汚れなき稲妻で強くすることじゃあないか」
 アカは爆笑した。「はは、こんな会話に意味は無いね!」
 アオは微笑んだ。「人間たちのコミュニケーションよりは、遥かにましだと思うが」
 キは眠そうに言った。「たまに、林檎の赤に触れてみたいな」
 ミドリは幸せそうに笑った。「すべての見えない虹のために、ぼくらは祈ってみたい」

 いつも彼等は、こんな感じで、意味もワケも分からない話をしながら、一日を過ごすのでした。
  
 ある日、ちょっぴり重大かもしれない話題になりました。
「みんなはどうして、ここにきたんだい?」アカが他の三匹に尋ねます。
 アオは答えます。「手袋をつけられるのが嫌だから逃げてきたのさ」
 キは答えます。「元の主が追いかけっこしているうちに、気づいたら外れてたから、ここに来た」
 ミドリは答えます。「人間が嫌いになってしまってね。そもそも僕はここに来る定めだったんだよ」
 三匹はアカにも、その理由を尋ねます。
「俺は、あいつらの白黒の瞳に隠した赤が気に食わなくてな。」
 三匹は、この島で出会ってから一度も持たなかった「疑問」が生じました。
「彼等の奥に眠っているものを、僕達にも分かるように説明してくれないか?」
 アカは答えます。「本当は、うずうずしているはずなんだ。何もかも壊してやりたいはずなんだ。そう、俺はあいつらの仮面を剥がしてやりたくなって、一度、ある方法によって、人殺しに手を染めたことがある。つまり、簡単に言えば、手錠から逃げてきたってコトさ」
 三匹には、アカの言っていることが分かりませんでした。

 ある日、空から大量の林檎が、小さな島に降り注ぎました。
 手達にもボコボコ当たって、彼等は痛がりましたが、幸せでした。
 林檎の赤い皮を、長い爪でむくことが出来るからです。
 アカは歌いながら喜びました。「まるでサイコパスのような赤だ」
 アオは回りながら喜びました。「クラシックレコードを聴きながら、皮むきをしたいものだ」
 キは寝転がりながら喜びました。「痛いけど、きもちいい」
 ミドリは寝転がりながら悲しみました。「凍土と焦土が、もうすぐ同時にやってくる」

 その次の日、小さな島に、空からミサイル君がドドドドドとやってきました。
 ミサイル君は言いました。「全部、将軍のせいなんだ、許しておくれ」
 
 四匹の手は、最期に――
 アカは「一度でいいから空飛ぶ車輪を見たかったなあ」と思いました。
 アオは「屍の山をはじめてみた時の衝撃と比べれば……」と思いました。
 キは「もう一度、林檎をむきたかった」と思いました。
 ミドリは「私達が出会ったことは、けして無意味じゃない」と思いました。

キリエ

 とあるアパートの一室で、僕の大切な女の子であるキリエは満面の笑みで言いました。
「ユキジくん、わたし、カボチャ食べたくなった! 穴つきのカボチャがいいの! 一緒にスーパーマーケットにいこーよ!」
「こないだ、食べなかった?……いや、でも、そうか……なるほど……」
 今日は十月三十一日、ハロウィーン
「ハロウィンはね、カボチャがユキジ君とおんなじくらい可愛く見える日なのだ。ホントは毎日こーならいいの」
 世界中のどんな宝石よりもキラキラと眼を輝かせるキリエを見ているだけで、僕は幸せです。でも、僕の耳を肉食獣のようにガブガブしているのが、難しいところです。今日から僕は片耳なしホーイチになりそうです。でも痛くても幸せです。だってキリエ曰く「ユキジ君を隅から隅まで味わうのが、わたしのレゾンデートル」らしいですから。
 キリエは一七歳ですが女子高生ではありません。学校が嫌いなのです。元々は僕と一緒の高校に通い、二年間は同じクラスで仲良くしていたんですが、ある日突然、「(キリエ曰く)憎たらしいやつら」をザクッと殺っちゃったんです。ちなみに僕も正式に退学したわけではないのですが、学校には「キリエがはじめて……を殺した日」以来、登校していません。そしてキリエは勿論、逮捕はされていません。何故なら彼女は「魔法」が使えるからです。僕はおかしくはなっていませんよ。おかしいのは、多分、世界の方。僕の「両親・教師・友達……だった生命体」は、こんなにも可愛らしい女の子をダイナマイト仕掛けの病人扱いするんですから。分からないのでしょうか? キリエの円くて大きい目と、紅くて柔らかな唇の良さを。そんなキリエが自らの意志で僕の所有物となってくれるのです。本当は恋人同士の関係が良かったのですがキリエが何故だか嫌がるのです。
 その理由を、僕はものすごく気になっていますが、それを問いただすと、キリエの目から涙がぼろぼろ零れ落ちてしまうのです。昨日、それで泣かせてしまいました。だから、キリエの笑顔が大好きな僕は、つい甘やかしてしまうんです。
「ねえキリエ、昨日のお詫びも兼ねてさ、穴つきのカボチャだけじゃなくて、他にもキリエが欲しい物は何でも買ってあげる。だからお願いがあるんだ。今日はカボチャを食べた後、キリエと手を繋いで公園にも行きたいんだ。そこで二人で遊ばない?」
 するとキリエは「おっけーよ!」と返事をしてくれました。キリエの体中からは眩い陽光が視えました。まるで世界が僕たちを祝福しているようでした。
 でもキリエには心配事があると顔に書かれていました。「どうしたの? 何か不安なことでもあるの?」と尋ねると、「ううん、何でもない」と、いつもの笑顔ではぐらかしてしまいました。
 僕は、その時のキリエの笑顔が「偽物」であると、見抜けたけれど、何も言わないことにしました。
 近所のスーパーマーケットに向かう道中でも、キリエは、いつもの笑顔ではありませんでした。
 アパートへの帰り道も、そうでした。だから穴つきカボチャも、キリエは、あまり美味しそうに食べてはくれませんでした。
 でもキリエは公園に行く時になると、いつもの笑顔に戻ってくれました。アパートの玄関で僕たちはキスをしました。
「キリエ、今日、僕はすごく幸せだ」僕は公園のブランコで、キリエの柔らかく小さな体を乗せながら、ぎこぎこと座りながら遊んでいました。「わたしも!」といつもの調子で返事をしてくれました。
「きっと、これもあいつらがいなくなったおかげよね!」と明るい調子でランランと鼻歌をはさみながら言いました。
「そうだね」と僕は、そのことについて、あまり触れないようにしながら、いつものようにキリエの肌を触ります。
「……ねえユキジくん、わたしで、いいの……恋人でもいいの……?」
 何故そんな分かりきったことを聞くのでしょうか。キリエは。
「それは僕の一番の望みさ」
「……でも、わたしのせいで、この世界は……」
「そんなの別にどうでもいいって、前にも言ったじゃないか」
「……ユキジくん……」キリエは、それ以上、何かを言おうとはしませんでした。
 本当に僕は気にしていないんです。
 そう、僕たちには、世界の何もかもが、どうでもいいんです。

マリーのライフワーク

 とある山小屋に、一人の小さな魔女が住んでいました。彼女の名前はマリー。少女は親も居なければ、学校にも通っていません。けれどたくさんのお友達がいました。そんな彼女のライフワークは、苦しむお友達を助けることです。嘆きの声が今日も小屋に届いて、少女は仕事に向かいます。

 山から下りると、彼等を救うために街へ向かいました。そこには彼女がやってくるのを待っている友人がいっぱい。少女は誰が困ってるのかなと考えながら街並みを歩きます。

 すると、ある一軒家から、おーいと少女を呼ぶ声がします。声の主は小さな魔女のお友達です。マリーは玄関前で「おじゃまします」と挨拶をして、家の中へ入ります。

 中から首吊り死体の男がマリーを出迎えました。「こんにちは! 今日はいい天気だね」と首を縦に振って血を吐きます。

 男は他のお友達と比べて、とても辛そうに見えました。例えば一昨日助けた男の子は、胸を刺されていただけだったし、昨日助けた女の子は手首から血が溢れていただけです。他にも少女は色々な死を見たけれど、首吊りが一番苦しそうだと思いました。

 だけど、どんなお友達だって助けられる自信がマリーにはありました。

「ねえねえお兄ちゃん、今どんな感じ?」

「……僕は今すごく息苦しいんだ。喉も乾くし、頭もうつろうつろしてる。死んでからずーっとこんな感じなんだ」

「大丈夫だよ! 私がお兄ちゃんを楽にしてあげるから! 私ね、魔法が使えるの! お兄ちゃんが血を吐かずに済むようになるし、ゆったりした気分になれるのよ!」

 小さな魔女は、そう言うと早速、「ちちんぷいぷいちちんぷい!」と男に魔法をかけてあげました。

 するとどうでしょう。なんと男の体が頭から縦にまっすぐ切断されてゆくのです。血がドピュドピュと噴き出て、肉体が綺麗に分裂しました。でも男は気持ちよさそうでした。

「ああ、あんなに苦しかったのが嘘のようだ。ありがとうお嬢ちゃん」

 マリーは感謝の言葉を聞く度に、生の至福を覚えます。でもこれだけでは、死を無駄にしてしまうから、救済とは呼べません。

「ここからお兄ちゃんと私だけのカーニバルが始まるよ! 今から奇跡を見せてあげる! ちちんぷいぷいちちんぷい!」と呪文を唱えると、真っ二つの体から犬が生まれました。

「ワンワン、ワンワン!」

素晴らしいとは思いませんか? 

マリーの魔法によって一つの死から、一つの命が誕生したのです。

「おお、なんて可愛らしいワンちゃんなんだ! 僕の死も無駄じゃなかったんだね!」

「そうだよ。すべての死は誕生への布石に過ぎないんだよ。だからお兄ちゃんはもう安らかに眠っていいの」

「ありがとう、お嬢ちゃん。これで僕は……」

 男の目蓋が安らかに閉じられていくのを見て、少女はよかったねと呟きました。

 

子ぎつねと天使

  ぼくはきつねの男の子。ある日火縄銃で撃たれて死んだんだ。つまり今ぼくは幽霊。おなかがすいてたから、人間が釣った魚を盗んじゃって、怒った釣り人に殺されたんだ。
 ぼくは人間の男の子と一緒の家に住んでいたんだ。いっぱい油揚げをくれたから、ぼくはあの子が大好きだったし、あの子もぼくのことを友達だって言ってくれた。でもね、あの子は重い病にかかって、ぼくより先に死んじゃったの。
 ぼくが幽霊になってから、あの子をさがしてみたんだけど、どこにも見当たらないんだ。いつになったら会えるんだろ。もしかして、遠いところへ旅にいってるのかな。でもぼくは、もう一度あの子と一緒に遊びたいから、今もあの子の家でずーっと待ってるんだ。
 その日も家の中で、あの子が帰ってくるのを待っていると、頭の上に白く光る輪っかを浮かべたてるてる坊主みたいなのが、ぼくの前に現れたんだ。ぼくが目を丸くしていると、「僕は天使さ。君を迎えに来たんだ」
 ぼくはきつねだからそう言われてもよくわかんない。でも天使さんはこう言うの。
「一緒に天国へ行こうよ。君の大好きな油揚げも食べ放題だよ」
 天国がどんなところかわかんないけど、油揚げが好きなだけ食べられるなんて、すごく幸せそう。
 だけどぼくは、「あの子と一緒に行ける?それともそこにいるの?」と天使さんに訊いてみたんだ。どうせ油揚げを食べるなら友達と一緒のほうが、おいしいに決まってるもの。
 でも「それはできない」みたい。
 ぼくは首をかしげた。
「どうして?」
「彼は悪いことをしたから行けないんだ」
「あの子は悪いことなんかしてないよ」
「君は知らないのかな?彼は自分のお父さんを殺した大罪人なんだ。だから今は地獄で苦しんでいるよ」
 ぼくは地獄がよくわかんないけど、あの子がつらい目にあってることはわかった。でも、あの子が、どうして自分のお父さんを殺したのかをぼくは知ってる。だからあの子が地獄へ連れて行かれたなんておかしいと思ったから、ぼくは天使さんに尋ねてみたんだ。
「あの子のお父さんはひどい人だったんだよ。あいつはいらいらした時にあの子の体を、気が済むまで殴ったり蹴ったりして楽しむ奴だったんだよ。それでもあの子はお父さんが好きだったから、じっと我慢してたんだ。でも、あいつはぼくを火縄銃で撃ち殺そうとしたから、あの子はぼくのことを守るために、自分の親を殺したんだよ?どうしてそれがだめなの?」
 あの子は、自分のお父さんを殺したことを、最期まで悔やんでいたんだ。どんなにひどい奴だって、自分の親だもの。
 でも天使さんは、こう言うの。   
「いくら事情があろうと、僕にはどうしようもないんだ。何故なら、神様が作ったルールに僕達天使は逆らえないんだ。神は絶対だから、たとえどんなに理不尽であっても仕方がないんだよ。神様が作ったルールの中では人を殺すのは、最上級の罪なのさ。どんな理由があろうと、神罰からは逃れられないんだ」
 ぼくは神様が作ったルールなんか知らない。
「……どうしてぼくは、天国に行けるの?」
 ぼくはきつねだけど、他人が釣った魚を盗んだぼくが天国に行けるなんて、おかしいと思ったんだ。だからぼくは天使さんに尋ねてみたんだ。天使さんはこう言うの。
「生きるためには仕方がなかったと、神は君に慈悲を与えたんだよ」
「じゃあ、どうしてあの子には慈悲が与えられなかったの?」
「いくら神様でも最上級の罪は許せないんだよ。だから地獄で罰を与えているんだ」
 神様なんか、くだらない。天国と地獄なんてなくなっちゃえ。そう、ぼくは思ったんだ。
 だから天使さんが、「でもね神様は君のことを天国で待ってるんだ。神様は君に慈愛の光を与えて、君の魂に至上の喜びを教えるんだ。それに君の大好きな油揚げだって…」いろいろ言っても、もう聞く気になれなかったんだ。
「天国なんか行かない」
「え? どうして?」
「そんなのが創った天国なんて行きたくないよ。天使さんが言う神様なんか、おばけだよ。本物の神様なら、あの子を許さないはずないもの。ぼくが神様の代わりにあの子へ慈悲をあたえるために、ぼくはずっとここにいるよ」
 それを聞いた天使さんは、すぐに天国へ帰っちゃった。多分これ以上話しても無駄だと思ったのかな。
 油揚げは残念だけど、別にいいや。そんなところで油揚げを食べてるよりも、ぼくはあの子とまた一緒に遊べるほうがいい。
 ぼくは、地獄で苦しむあの子を想った。
 君がいつ戻ってくるかはわからないけど、ぼくはずっと待ってるよ。だってぼくは君の友達だもの。

白の王国

 前書き。この作品は私の処女作です。書き始めの頃は、どのような文章だったのかを見せるために、あえて細やかな添削は施しておりません。

 

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 『0』

 ある日突然、少年の視界が変わった。自分を除いたほぼ全て人間の顔に、黒い光が見えてしまうのだ。それは目の辺りから唇にかけて覆い尽くし、薄暗い印象を与える。何故そうなったのだろうか? 原因は少年にとっての最期を迎えるまでわからなかったが、彼自身は元の視界を取り戻したいとは一度も思わなかった。

 王国成立の予兆である



 『1』
 少年が12歳の誕生日を迎える頃に世界は変質した。視界に異常が生じたのも、人付き合いが嫌になりはじめたのもこの時期である。たかが12年、されど12年生きればある程度人間性が出来上がり、悪い面も幼い頃よりくっきりと浮かび上がるものだ。故に悪口雑言や罵詈雑言が飛び交ったり、誰か一人に対してある問題事の責任を当事者ではない誰かに責任を擦り付けたり、剥き出しの憎悪で殴り合ったり虐めも激しくなる。そんな時期を誰もが過ごしたわけではないが、少年はそんな中で生きてきた故に人が嫌いになった。視界が変わる前日にしても心中で「あいつら全員死ねばいい」と思っていた。
 この変化に気づいたのは、ある日の昼間に起こったいがみ合いの中であった。餓鬼同士の揉め事なので内容は実に下らない。修学旅行の班決めで「あいつと一緒は嫌だ」と一言で済む話を次の時間の授業を潰す勢いで一部の生徒が騒ぎ立て殴り合うのだ。実に協調性がなく、やかましい、だから餓鬼は嫌なのだ……。小学生がそう思う位、当時は荒んでいた。
 そんな喧騒を冷めた目で見ていたら妙なことに気がつく。殴り合っている男子生徒の顔が、前述のように、黒く光るのだ。最初、その光は少年にとって恐ろしく映った。けれど何故か目を瞑って見ないふりが出来なかった。まるで出来のいい芝居を観ているような光を創りだす黒に惹かれていたのだ。
 そうしたことから、決して視界を取り戻そうとは思わなかった。あくまで異常に映るのは人間だけであったし、私生活において問題が生じる場面がなかった為、医者に診てもらうつもりはなかった。第一学校で行われる視力検査や健康診断でも一切異常は無いと結果が出ている。精々顔の中心部に黒い光のような何かが見えるだけだ。だったらこんな希望に欠けた世界の唯一美だけは守りたい、僕の中に閉じ込めておきたい…。少年はあの頃に映りし黒い光の本質もよくわからずに唯々眺めることだけを楽しんでいた。やがて中学生や高校生になってもそれが変わることはなかった。ただし光り方に重大な変化があった。
 年が経つにつれ、単発的に発生し色彩濃度の濃かった小学校時代に比べ、継続的に発現するようになり色彩濃度が薄く見えるようになる。それは以前と比べて美しいというより儚くて痛々しさのあまりに、命を奪った方が幸せではないかと思うような黒色である。
 少年は得体の知れぬ危機感を持つようになった。故に人を怖れ活力が失われた彼は以前より口数が少なくなり、笑顔を作ることも出来なくなってしまう。
 そんな少年を唯一異常だと気づいたのは実の母親であった。母は少年にとって数少ない「黒くない」人間である。心配そうに自分の様子を尋ねる母の姿を見て、心が痛んだ少年に隠し事は出来ない。心が病んで視界に異常が生じたのか、医学で未だ解明されない奇病なのかは知らない、元々の視界に戻したい訳でもないが、視界の謎だけでも解き明かしたい。少年は母に全てを話すのだった。

 王国成立の序章である



  『2』
 これまでの経緯を伝え終えると、母は少年が今まで一度も見たことのない表情を見せた。真っ青で、涙を流しそうで、直ぐにでも壊れそうな面持ちである。そんな母を見たくない少年は「お母さん? 大丈夫?」と不安そうに尋ねるが、よくなる気配はしない。

 しばらくして母が「大事な話があるから車に乗って」と少年を母の実家に連れて行った。あの家に来るのは何時以来だろう、お祖父さんもお祖母さんも居ない寂れたボロ屋で何が行われるのだろう? と思いながら古びた座敷で胡座をかいていると、母が、白い石が蓋の中心にはまった、宝箱を連想させる小さな箱と共に少年の前に現れる。何それ?と尋ねてみても返事をせずにゆったりと腰を下ろした。

「色々不思議でしょうけど……私だって本当に、今から語ることが本当のことかは分からないわ。でもね、多分そうなのよ。そう信じた方が納得できるもの」
「驚かないでね、実は私も坊やと同じ風に世界がおかしいのよ。人の顔がね、黒くて怖いの。大人になっても変わらない。坊やを産んでも世界は暗いまま、私の生きる世界が同じなのは坊やと、あなたのお祖父ちゃん……私の父だけ。……坊やはひとりじゃないの」
「あなたの視界が変になった理由は父も私も分からなかった。でもあの黒が見え始めたのは理性が作られる段階に差し掛かった頃、坊やとほぼ同じくらいよ。坊やも薄々わかっているでしょ? 私達は黒に包まれた悪意の真実を見つめる瞳を持っているの。私の夫だって私の友達だって黒かったわ。そう、世界は悪の集団と言っても過言じゃない……。悪は私達を縛りつけて生かそうとしている、白を黒に染めるように私達は複数になるの……」
「でもね、結局はひとりになるの、人間は。甘美なる孤独からは逃げられないし、何時かは寿命も尽きる。……言っていることが分からない? 坊やはまだ白だから当然。簡単に言えば黒に巻き込まれるのは嫌なら、今から私の言うことを聞けばその悩みも終わるってこと」
 難しい話だが要するに、黒の正体は悪意、黒の視界は少年の母方の一族に受け継がれてきた、母は白いが心がおかしくなる寸前なことが分かってくれればいい。
 重要なのは、母が持ってきた謎の箱のことだ。
「かつて目指した無限の白に包まれる世界を作る私の夢を坊やに託すわ。その夢を叶える魔法のような道具はここにあるのよ」
 この台詞を聞いて、少年は母が色々と可哀想な人だと気がついた。
 母は膝の脇に置かれた箱を少年の前に置き、蓋を開けると、中には何の変哲もない白い数珠が入っていた。説明によると手に持って祈るだけで黒が消え去る優れものらしい。抽象的なことを言われても納得し難いが、これで少年の父(ギャンブル中毒の暴力男。少年が5歳の頃に失踪した)を消したと熱く語るので一応信じた。(後に本当だと分かるのだが)
 試しにどう? と勧められたが、少年は「少し考える」と保留の姿勢を見せたが実際のところ別に人間を消してまで黒を消したいわけではない。母が長年生きても治らなかったのなら仕方ないし、自分はひとりじゃないのだ……。母は黒くないのに何故孤独を求めるのだろうか疑問だったが、それもどうでもいい話だ。これで少しは楽になるだろう……。
 だが少年の予想は良い意味で外れた。今まであんなにも怖かった黒が、単なる黒にしか見えなくなったのだ。死神のコートのように生々しい黒が、紙のような薄い黒に変わったことが何より嬉しかった。話してよかった、たったそれだけでこんなに楽になるなんて……。
 やがて時は流れ少年は青年になるが、その間は特筆すべきことなき人生だったので省略する。黒に対する意識は何も無くなり、人に対する嫌悪感も消えた。母が病に倒れて亡くなっても恐ろしいことは少ない。青年は手に職を持ち、愛する家族もできた。半年も経てば青年の血が繋がった新しい命も誕生する。幸福で退屈な人生と言わずして何であろうか。
 かつて恐れた黒も最近になって、グレーに近づきつつある。どうしてそうなったのかは分からぬ、でも何故だか分からない訳でもないのだ。矛盾しているようだが仕方ない。
 もう黒の視界は消えた。青年はそう信じて、あの日もいつものように出勤するのだ。
 
 王国成立まで、あと少し

 

  『3』

 何もない部屋、何もない世界に生まれることを望みし夢が具現化されている。

 その中で青年は一人ぼっちで佇む。妻が強盗に金銭と二つの生命を奪われて以来ずっとこうしている。会社も辞めた。精神的なショックがあまりに大きかったから会社を辞めたわけでない。黒の視界の復活が青年の人生観を思春期時代より更に悪化させたことが最たる理由だ。家族が奪われてから彼の視界は少年時代の頃に戻る、いやあの時より黒の濃度は増しており、人間の顔がもはや見えなくなるぐらいに、醜く汚い黒に悪化し、何より黒は顔のみにあらずありとあらゆる所で見かけるようになった。青年は世界を或いは生を怖れ、あの時と同じように震え、眠れぬ日々が続いたのも無理はない。
 それでも部屋の中で引きこもって生涯を終えたいわけではない、青年には歪んだ希望があった。かつて母から授かり必要性がなかったため一度たりとも使わなかったあの数珠のことである。効果があるかは分からぬが、母が父を消したように自分が望む世界を創るため、黒が消滅するためには、効力の保証もない一介の数珠に頼るしかなかった。
 青年は毎日祈り続けた。食事も忘れる程に、黒の消滅をひたすらに願い、どれくらいの歳月が過ぎたかも分からない。自分だけでない、母も祖父も黒に苦しみ、妻も生まれてくる筈だった我が子も黒の犠牲になったのだ、あの日家に帰ってドアを開けたら二つの命が包丁で滅多刺しにされて奪われて、赤く無残な姿を晒す妻の姿をこの目で見てから黒が蘇り、自分は、黒から逃れられないのか、そう、人生で一番嘆いたのだ。
 黒が何なのかは母も青年も誰もかも、正しい答えが出せないであろう。一つだけわかるのは「必然の悪」であること、けして「必要の悪」ではないが、黒が溢れることも人界の理なのだろう。根拠もないが青年が信じる黒はそういう類のものだ。もしこの考えが正しいのならば、あの数珠が真に力を秘めているならば、青年の祈りが人間にとって恐るべきことを引き起こすことも不思議ではない。

 王国完成までもう間もなく。

  『4』
 王国建立のあの日、青年は外出していた。今までは黒が恐ろしくて何もできなかったが黒に立ち向かわなければ、黒も消えない。故に現状認識――黒はどれくらい消えたかを確かめるため近くのスーパーに食料品調達も兼ねて黒の跋扈する世界に赴くのだった。
 ところが、青年にとって喜ぶべきことに一切の黒が、消滅していた。青年にとって驚くべきことに人が誰もいなくなっていた。居たのは野良猫だけである。店員もおらず代金も払う必要もなく、とりあえず好物を持ち帰り、食事を済ませてから色々考える。
 だが不可思議に対する答えはもう青年の中で確定していた。そう、あの数珠の魔力が本物だったのだ。災害であったらいくら祈りに集中していたとしてもすぐに気付くし周囲に被害も見当たらない。青年は今までメディアから情報を接触するのを拒んでいたが(新聞やテレビからも黒は溢れていた)こうなってはやむを得ない……が……テレビをつけても電源はついても番組が映らない。何が起こっているのだ? 数珠の効力は全世界に通じたのか?
 それを確かめるために青年は愛車で各地を飛び回りその仮説を検証してみた。少なくとも国内では正解だった。日本のどこを回っても黒の主因である“人”が誰一人として居ない。人以外のものに纏わりし黒も見当たらず、青年は不気味にも感じたが帰り道の車内では嬉々としていた。――やった、黒は全て消えた――彼の中では全ての人間が消失した怪異等どうでもよかったのだ。それだけ怖れ、震え、憎んでいた、黒が、もう残されていない……。
 帰宅後、青年は一人で小さなパーティーを開いた。人が消滅すれば自分の命はもう永くはないことなど分かっているが、黒に包まれた世界で死ぬよりはよっぽどマシだ。酒とインスタント料理を食べながら彼は笑っていた。その食事が最後の晩餐となるのも知らずに。
 翌日の朝に青年は思い立った。そうだ、旅に出ようと。黒なき世界を誰にも縛られることなく、前回より楽しむことを重点において、出かけよう。そうと決まれば準備をしなければ。食糧や地図等の用意も完了して、さあ出発だ――おっと、その前に今回の旅は楽しむためだ。前回行かなかった名所に赴くのだ、たとえ人の目を気にする必要がなくても身なりは整えておきたいと思い家族が死んでから一度たりとも見なかった鏡を覗く。
 鏡に映る自分の顔に、黒ははっきりと映し出されていた。
 今まで自分自身には見えなかったが、どういった原因にせよ、自分は黒の消滅を願った。それは自分の生存本能よりも強い。青年は箱から数珠を取り出し、祈る……。

 白の王国は完成された。

  完